│←「宮古」のあたたかい風を感じた日々より→│
あたしはこれから何をしたら良いのでしょう。 2泊3日の本当に短い・宮古への旅行から帰ってきました。 ただいま。 レンタカァで、宮古の迷路で、迷っていました。 何度も、同じ道を。 歴史散策なども割に合わず、あたしの唯一の目的は、 「星を見ること」でした。 でも。あたしは、台風を呼んでしまったのです。どこまでも 雨女のあたしを、少し憎んだときでした。
到着日、26℃の気温。頬を撫でる宮古の風を感じ、 宮古空港の水で、あたしは、手を綺麗に洗った。 一度も来た事の無い・あたしと同じくらいの大きさのサトウキビたちと、 タバコ畑の広がる道。 晴れていると思った、 宮古の空は、あたしの心残りを失くさぬ為に、晴れないソラ。 雲を呼んでしまうあたしは、それでも生きていた。
海の広さに負けないように、太陽を睨んでみた。 「空」は掴めない位に 遠いね、だけど、すぐに手が届いて、触れる気がするの。
宮古へ、住み着きたかった。本当に。 インタァネットも何もせずに、年老いて死ぬまで 同じ人間で居たいと思った。 他の観光地とは違う・非日常から造られる安らぎではなくて、 道に迷い、それでも、進むべき道は眼の前に広がるのだから、 それを、信じたいのです。現地の人の言葉のように。
突風が吹いても倒れず、あたしは、とても強くなれる気がした。 道端を足早に歩く猫や、海岸に住む犬や、アヒルと同じ『いきもの』なのだから。 非日常であるからこその“楽しみ”と“ゆとり”。 あたしはそれを信じない。
2日目の夜、0時過ぎに、電話をしようと思い、バルコニーに出ました。 すると、夕食時にも どんよりと灰色の雲に覆われていた空が、星の煌めく闇になっていたのです。 雲が途切れたのは、 ほんの半時間だけど、宮古の上に煌めく空を観れただけで。 あたしは、満足してしまいました。何処にでも散らかっている人間を、 意味のぼやけていた自分自身が何をすべきか を判った気がするのです。
偽りも眼を開けて信じましょう。 あたしはきっと、本物の病気ではないのだから、 「鬱です」や「激鬱」とか、そんな言葉は、あたしには、使えません。
吉野海岸に住む4匹の犬たちは、懸命に生きていました。 途切れずに生きてゆくために、母が手から渡したソーセージを、 一度は食べたのですが、 もうひとつは、鼻と前足を使って、 砂の中に埋めたのです。 また後で、食べるために。 いろいろな知恵があるものです。
下にある写真日記に、宮古の風景を、更新しました。 時間が在れば 観ていって下さい。
ラムネを舌の上で溶かすように、薬を溶かした。§2003年04月23日(水)§ |