│←生きているということ。→│
あたし達は、今、この瞬間を『生きている』。
『生きている』という言葉は、必ず進行形です。 あたし達が体感している『生』は、『生きていた』という過去の事柄にはならないのであって。
では、『生きている』とは、具体的にどういうことなのでしょう。 口で酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出すことが、『生きている』ということなのですか。 そうして、あたし達は、何のために『生きる』のですか。 呼吸するために、『生きる』とでも言うのですか。
何の活力もなく、日々漠然と流されていくのは『生きている』ということなのですか。 怠惰に同じ動作を繰り返すだけの生活は、『死』に等しいことではないと否めるのですか。
・・・・そうはいっても、その『流されている』側の人間からしてみると、その問い掛けは余計なお世話なのです。そうして、どうしようもない、絶対的な問い掛けでもある故、答えを出すことが出来ないのです。
彼らは解っていないからだ。 『生きている』という実感をその中で見出したことがないからだ。 日々を淡々と過ごしながら、その問いは心中で、何度も自分に問い掛けをした。 しかしながら、答えは出せなくて。 解らないから。
だが、肯定もしない。 怖いから。 。。。何故って? そういってしまったら、今の自分を否定するのと同じだろう? 只、只、自分の意思と関係なく流れていく日々を、追いかけて付いて行くだけの自分を。
片や、目標を持って、其処目がけて『生きている』人は、アッサリと答えを出す。 その夢に向かって、私は『生きている』、そして『生きる』と。
恋人のために、家族のために、野望のために、思い描く夢のために…__。 そこに存在価値を見つけたとき、 つまり、『自分だけにしか出来ないこと』を見つけたとき、人は 初めて己の『生きている』実感を感じるという。
恋人の傍に居られるのは、なにも自分ひとりじゃない。 でも。彼女が心を開ける相手は自分しか居ない。 今、この瞬間を共有できているのは、自分が居るからだ。
それを偽りの愛だと言う人もいるけれど、それは間違いではないと思うのです。その中に、確かに『生きている』意味があるから。 そして、『生きる力』があるのです。
日々、『流されている』人の中には、『生きる』ことに疲れたという人も居るだろうけれど、今を、今を『生きている』のは、『生きている』意味を探すために、あたし達は『生きている』し。そうして、『生きていく』のではないだろうか。
そうしてそれを見つけ出した時、今度はそのために、『生きる』のではないか。
あたしは、『生きていればいいことがあるさ』という安易な言葉は嫌いだけれど。 人生という長い道ほど、全て踏破する前に、「もう厭だ」と投げ出すのも好きじゃない。 「生きていてもいいことがない」なんて、そんなコト、何処の誰が保証すると言うのでしょう。 それこそ、安易な『逃げ』なのでしょうに。
何も言えず、自分の意思とは関係なく死んでいった人々は、一体何なのですか? 『生きる』権利を剥奪された彼らは、何のために生きてきたのでしょう。
彼らのぶんまで生きろだなんて言わないよ。 でも。生きていれば可能性はあると思うのです。 その可能性は様々だ 辛苦の事かもしれない だけれども、素晴らしいことかもしれない。そうしてその可能性を、自分が持ち得ていることが、どんなにか幸福なことなのかを忘れないでほしい。
あたし達は今、この瞬間を『生きている』。 願わくば、これを読んでいるあなたの心に今、『生きる』意思が根づいていることを切に思う。
まだ、人生の半分も歩んでいない若輩者だ。 たかの知れた高校生のあたしが何を偉そうに、と思われるだろう。そりゃ同感です。 でも、高校生にもイロイロあるのよ、…っていうか、これは、あたしからあたしへの手紙だと思って頂戴。 ああ、流されっぱなしLIFE。
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ここ数ヶ月で、あたしは変われたのか。 それとも…、変わってしまったのか。
今まで判らなかったことが判ってきたけれど。 今まで判っていたことはすべて、もう、判らない…。
変われた、ではなくて、病気の所為で変わってしまっただけなんじゃないかな。
なんかの雑誌で読んだ。 鬱で、毎日暗いことばかり考えて過ごしているのを、自分はこういう性格になってしまったんじゃないかと思う必要はありません、って。 病気の所為で暗いこと考えているだけだって。 病気が治れば、全部直るって。
じゃぁ、今の暗いことばかり考えているあたしは何なのかしら? あたしじゃないのかしら。。 前のクダラナイ自信に満ちたあたしよりも、今のあたしの方が、余程好感が持てるのですけれど。
どんなに愛されても愛せない。僕は、きっとそんな人間なのかもしれない。 どんなに愛しても愛してはもらえない。僕は、きっとたどりつくコトのできない人間なのかもしれない。 でも。罪は償えるだろうか? 愛にたどりつけない僕は。
§2002年12月11日(水)§ |