│←”死”は望まなくても向こうから勝手にやってくる→│
@無意味なあたしを許してよ。
あたし、自分になついている野良猫を家に連れ込んで、遊んだりしていた事があるんです。小学校3年生のこと。 遊んでいる間に何かわからないけれど、枕の下に猫をおいやって、全体重でもって押し付けていたのを覚えています。 そうして、首をおもい切り絞めたのも。 辛いんです。 いけないことだって、分かってるし、猫が痛いのだって、そんなの、分かり切ってる。 分かり切っててやってしまう自分を、自分で戒めてしまいたい。 楽にしてやりたい。
苦しそうにニャぉニャォ鳴いているのが、あたしには心地良かった(異常ですか)。
でも結局、絞めた後で大泣きした。 「ごめんね、ごめん、ごめん、もうしないから…」 それでも尚 その野良猫は、あたしにすりよって、咽喉をごろごろ鳴らして、なついたまま。 哀しかった。 そしてまた絞めてしまうの。 そしてそうする度。 自分は、もうなんの価値もない人間なんじゃないかって、思えてくる。
考えると、気持ち悪い小学生だよね。 そんなときから、死にたいと思うのか? って...ネ。 若けぇよてめえ、みたいなね★ 馬鹿だよね。ホント。。ばか。
自分を傷つけないで、何故弱いものに危害を加えたのか、 今のあたし には考えられないこと。 今のあたしは、 小3のあたし とは違った人間だから。 他人を傷つけずに自分を傷つけるという ずるい 生き方をみつけてしまったから。。
あたし、思うのです。 でも、それは単に同じことを 繰り返しているだけ だ、って。
"私はモノに当たることがあっても猫に危害を加えることだけはしない。" ってみんな思っていると思うけれど、 でも、それは当たっているものに対して周りの人が不快に思えば、結局は良くないことだと思うのです。 ただ、昔はたまたま題材が"猫(弱いものにあたる)"だっただけで、 物であっても、自分の腕であっても、それは一緒のような気がするのです。
つまり、七年の月日が流れても、私自身、心の底にある我侭や性格そのもの、何も成長していないんです。
それでは、どれが良くて、どれが悪いのかと言う問題になるのだけれども、 善し悪しの判断より、 まず皆さんがイライラするときちょっとした盲点になりがちの "イライラしている原因は何なのか"ということなのですよね。 "なんであたしはイライラしてんねん!"ってちょっと振りかえってみるけれど。
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