2004年08月15日(日) |
【水饅頭観察日記】その6 |
夕方、実家から戻り、空気の淀んだ部屋の一歩踏み込んだ時、私はふと、訳もなく違和感を覚えた。 しばらく無言で部屋を見渡し、特にこれといって何も変化が無いことを確かめた上で、歩を進め、カーテンを開け、もう一度部屋を見回す。 やはり、部屋は帰省前と変わらず雑然としてはいるが、変化は見られない。 部屋に入った瞬間の違和感は気のせいだったようだと結論づけて、窓を開けて部屋の換気をしながら、私は水饅頭の苗に視線を移した。 さすがに3日開くと水分が不足するらしく、心持ち葉先がしんなりしているようにも見えたが、枯れたりしおれたりすることなく、水饅頭の苗はガラスのポッドから伸びていた。 花が散った後には、どうやら種ができるらしく、直径3センチ程度の子房らしきものが、のびた茎の先端中央に鎮座していた。 玉紫陽花の花芽にも似た、ごくごく薄い黄緑色をした房だ。萼らしきものが5片、まるで台座のようにその房を支えている。 丸くて可愛らしいそれは、見ようによっては水饅頭に見えなくもなかった。 が。これを水饅頭と呼び、この苗を水饅頭の苗と呼ぶには、かなり抵抗がある。 「水饅頭の苗」と銘打って売られていたからには、もうちょっと、「これぞまさしく水饅頭!」と思えるような結果が無ければ、納得できたものではない。 たかが200円とはいえ。これはもう、金額の問題ではないだろう。 私の水色水饅頭よ。早く姿を見せておくれ。などと、一人暮らしの性で苗に語りかけたりなどしながら、水饅頭の苗に水をやり、人間にも水やりせねばね。と、私は夕食の支度を始めた。
変化に気づいたのは、夜、眠りについてしばらくしてからだった。 立秋後から、少しずつ涼しくなってきたとはいえ、名古屋の夜はまだ暑い。 窓を開けて寝られればそれが一番良いのだが、年頃の娘(笑)の一人暮らしである以上、防犯面からも鍵はかけて寝なければ落ち着かない。 出窓くらい開けておいても良い気はするのだけれども。夜中に暴走バイクの爆音がすることもあるので、やはり、開けないことの方が多い。 私はいつも通り窓を閉め切り、地味に蒸し暑い部屋の中で、タオルケットにくるまって根性で眠っていた。 暑いと眠りが浅くなる。起きているのか寝ているのか自分でも判断が付かないような浅い眠りの中、遠くから、小さな鈴の音の様な、軽やかで涼しげな鼻歌が聞こえてきた。 それはとても心地よく、耳に柔らかで、私は柔らかな絹のベールに包まれているような感覚を覚えながら、幸せな寝返りを打ち、ふと、我に返った。 窓は閉め切っている。 うちに、ラジオはない。 テレビも付いていなければ、CDもかけていない。 携帯からは、こんな柔らかなハミングの様な歌声は出ないはずだ。 とすると、今聞こえているこの声は、何だ。 私は急速に意識を回復させると、極力音を出さないように気をつけながら、ベッドの上で体を起こし、耳を澄ました。 涼やかな声音は、出窓の方から響いてくる。 まさか、と思った。いやいや。まさかそれはちょっと。常識的にどうですか。 心の中で一人呟きながら、ゆっくりと出窓に近づき、カーテンの隙間から漏れる月の光に照らされた水饅頭の苗をのぞき込んだ。 月明かりに透けて、薄黄緑色の房の中に、水色の影が見える気がする。 水色の影は、月の光を反射して、まるで水槽の中で水が揺れているかのように、ゆらゆらとその影を揺らしている。 歌声は、その水色の影から聞こえてきていた。 心なしかご機嫌な。小さな小さな歌声。 私は息をするのも忘れて、その小さな球体を眺めていた。
ふふ。つづくのだ。
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