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それぞれ - 2003年08月30日(土)

…そろそろ、実情に合わせて日記の温度も上げていきますか。
日常の実情に合うくらいには。


昨日、家族が写真を集めている、という話はしましたけれど。
今日は、母の発案で、それらの何枚かをフレームに入れて廊下に飾ることになりました。

姉が苦笑混じりにぽつり、と「これは酷だよね」と漏らしていました。

自分はそれが母の望みなら、と適当に参加していました。
自分は耐えられない訳でもないので、あまり気に入る行動ではありませんでしたが、
止めませんでした。それが母のスタイルなら、尊重します。

でも、自分としては、
ずらりと並ぶ愛猫の写真、という構図には抵抗があります。
そんな親馬鹿みたいな行動、恥ずかしいな、と。
自分の目に行き過ぎと映る世の飼い主達に普段軽蔑する気持ちもありますし。
特別にベタベタすることは、ないんじゃないかと。

それに。
自分には、見えないんですよね。
半目を開けて寝転がる猫の写真と、いのちが終わってからの猫の写真にあるあずの、
決定的な違いが。
こっちは生きている目、こっちは…しんだ目、って云う差が見えないんです。
瞳の色は、同じに見えました。
表情だって、写真に納まる分には、十二分に、変わらないものなんです。

そんなことの区別も自分にはできないのか、
という落胆と現実が嫌です。

それ以上に、写真の猫の目を見る度に、しんだ、目、と思いかける自分が厭です。

写真は、結局のところ、「温度」は写せない記録媒体にすぎませんね。
本当に「温度」までリアルに記録されたら耐えられませんけど。

こうやって、とりあえずは写真の限界、ということにしておきます。



それにしても、家族の、猫に対する行動の違いがわかりやすくなった感じがします。

喪失に、いちばん悲しみと衝撃を受けているのが姉。
火葬にして骨の粉を庭に撒きたいと言ったのは姉でした。
残りの家族の自然な合意で埋葬になりましたけど。

ひとり、他とは違うリズムで思い出し、しょげるのが父。
ちゃんと感情に対処できているようで、後になってから鼻をすんすん、と鳴らしてました。

母。
いちばん、自分には理解できていません。
骸に向かって、生きている時と同じように声をかけ、
廊下に写真を、実に楽しげに並べる。
どんな気持ちなんでしょう。
傷を抉る辛さ、とかはどうなんでしょう。
姉とは対照的です。
人生経験の長い女、『母』である、という違いなんでしょうか。
彼女に関しての負の感情はとりあえず塞いでおきます。


八月、明日で終わっちゃいますね。
やれてないこと、けっこぉあるんですけど…(汗)。


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