2002年03月11日(月) |
まぁ・・・そんなもんでしょう。 |
6月のはじめに
エアコンを買ったのに・・・
病院は暑かった
めちゃくちゃ暑かった
暑いなんてもんじゃなかった
頭を動かせないように固定されていた
軽い鞭打ちの為 首にはドーナツ状の
コルセットみたいなのをつけられ
骨折した鎖骨に負担がかからないように
羽交い締めのようなサポーターみたいなのをつけられ
背筋までピンと矯正されていた
鎖骨を両方折っていたので寝返りは出来なかった
肋骨も顔も骨折してたのでうつぶせで
寝るなんてとんでもない
シーツの下には 床ずれが出来ないように
ビニールのエアーマットのような物があり
背面はこもり過ぎる程 体温がこもっていた
しかも
夜の9時 消灯時間になると
エアコンが止まるのであった
あたしはしばらく 天井だけを見て日々を過ごした
MR検査 CT検査 レントゲン 血液検査
いろいろと検査をこなし
鎖骨はそのままだと元に戻るのに時間がかかる為
手術してワイヤーを入れて半年後に抜くことになった
顔は手術跡が残らないようにと
口の中から手術して へこんだ顔の骨を戻すことになった
手術は無事成功。
酸素マスクが息苦しくて
はずしている所を見つかり
看護婦さんに怒られた(^^;)
あとは骨がくっつけばここから出られる
煮干を食べまくり
牛乳を飲みまくり
鉄分を取りまくった
ヒザは 一度縫ったのだが 切り口が汚かった為
皮膚を少し切りそろえて再び縫ったらしい
その分、ヒザの皮膚が少ないために
完全に曲げられるようになるには
時間がかかった
右足は動かさないでいたため 筋肉が落ち
片足だけ気持ち悪いくらい細くなっていた
同じ太さに戻すのに半年ぐらいかかった
両腕を動かすリハビリと足を動かす
リハビリを必死で頑張った
入浴許可が出た
ついでに髪も切った
腰あたりまであったけど 事故時、どっかで擦り切った
らしく半分くらい肩までの長さしかなかった
個室から大部屋に移った
そして・・・
ようやく退院許可が出た頃
事故から2ヶ月経過していた
8月15日(だと思う)
失明するかもと言われてた目も
切断するかもと言われてた右足も
へこんでた顔も
完全に治っていた
そして
親友の家にべジータを引き取りに行くと
あんた誰?
と言う顔でこっちを見ておびえている
べジータが出迎えてくれたのである
幼ねこ時代は短い
べジはただでさえ子猫よりも大きかった
一番貴重でかわいい時期を
あたしは取り逃したのである
そして
もっと残酷なことに
せっかく慣れたその家から
べジを連れ帰らなければ いけなかったのだ
親友とも相談した
5人家族の中で
5人とも とても大切に接していてくれたのである
このままここに居た方がしあわせなのでは?
それは・・・自分になついてないから いらない ってこと?
そう言われて
なにも返せなかった
悔しかった
事故に遭った自分も
自分の事を忘れているべジも
仲のいい 家族も
あたしの母は
仙台にいる義父に呼ばれ
あたしの手術が終わると戻ってしまっていた
退院日が決まっても
受話器から聞こえたのは よかったね ではなく
その日はそっちに行くことができないから
もう少し入院して完全に治してから退院しなさい
だった。
退院日
迎えに来てくれたのは 親友の家族だった。
べジを連れてそのまま帰ろうと思っていた
退院祝いをするから一晩泊まって帰りなさい。ね?
そのまま泊まることになった。
自分だけにしかなつかない
自分だけのねこが欲しかった
翌日 あたしは
べジータと一緒に家に帰った
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