まだ、やってます。
今日も、かいこさんの日記。

2007年03月04日(日) yellow*******

今日は午後より突風だ。
花粉が飛んでいるのであらう。
残念ながら私にはわからない。
ケータイでミモザをマクロ撮影するのに、
画面が花粉にまみれてしまった。
種の保存ゆえの飛散とあらば、
致し方無しとしようか。

さて、白く霞んだ午後を行く行路、
彼のミモザは風に吹き荒れ、
ああ、そのやうな姿も粋で美しいと思わせる
黄色の春の力があった。
菜の花は気候に似つかわしく咲いている。
春に浮かれてしまうのも、説得力があるというものだ。
とはいうものの、私の中の心根までが
そぞろ浮き足立っているわけではなくて、
むしろその明暗の対比に引っ掛かってしまう
というような落ち着かなさ。
それを浮かれていると取り違えてしまうのも
如何なものかと思うけれど、
そういった種類分別関係なく
春の花咲き初むる季節は、こういうものなのだから・・。

恥ずかしいくらい晴れた日曜日に、
息を止めていようとも、
ささくれた心でうずくまっていようとも、
世界は巡って、黄色の眩しさは無情にもというべきか、
変わらず幸せな色に点っているのです。
あー、だから優しいのだと思います。
世界が全て心象風景だったら、長い長い氷河期の
終わりも来ないかも知れないんだもの。
無垢で無知で、何ものにも左右されず、変わらない黄色。
そうして写真に撮ってみたのでした。

あいかわらず林檎中毒(東京事変含む)なのですが、
総じて言えばこんなぽかぽかな春の昼間のドライブには
お誂え向きではけしてないですね・笑
スーパースター、依存症、あたりは夜の帰路には沁みます。
今の私にはスーパースター。
この詞をわが身に振り替えてみるのである。
貴方に見合うほどの人間としての器に満足はしていないけれど、
貴方と向き合いたいという切な希望を背景に持っている。
淋しさから逃れようとする体勢ゆえの卑屈ではなくて、
…何なのだろう??謙虚??真実を受け入れる??
とにかくせつないのです。

このところ思うのは、
人としての小さな幸せとは、真に何なのであろうか。
ということです。
大きな渦と小さな渦のなかで、路頭に迷ってしまうよ。
では、それでは、私はどうしよう?と。
このまま全部なげやりに、
誰かにゆだねてしまいたい心地でもあるけど、
この命題は、自分の生命とそれが描く円弧の軌跡と
決して離れやしないというのは、
証拠は無くともよくわかって居りますから。
自分のこととしてずっと、目前からその先まで、
何時も見えている。

なんだかことばは幾らでも浮かんできてしまう。
ただ自分を錯綜させるだけのような
気もするのに・・何の意味を持つのかな。
意味がなくては進めないのかな?
同じこと、この前もいった。

この迷走状態に、部分部分林檎さんの詞が
ちらちらとちらついて寄り添ってくるので、
林檎かぶれの中毒なんだろうな。。あっは。
ほんと、おもしろいほどぴったりくるんだよ。
あげればきりがないけど。

さて本日も終盤です。
あたたかい春の夜で、
よいどれ、なんて言葉が似合いそうですが、
帰ったら何か飲もうかなー。
今日は珈琲もなんだか熱くって、
ミックスジュースな心地でした。
ジュースィーなもの、飲みたい、って
そういうとき、あるでしょ??
寒いのは苦手だけど、
あつーい珈琲を、ふぅ、って飲むのは好きなので、
今日一気に春になってしまったので、ちょと残念。
でももう一回くらい寒い日々、来るだろう。来るかな。

言葉を並べればあれこれややこしくなるけれど、
まぁ春あたたかくなれば、
私は単純に浮かれてしまっているのだから、
なーんにも心配することないんだよ、と
自分に言い聞かす。あぁ、春に浮かれてたいな。





忘れてしまうんだ、
思い出したくても、
心がそうするように、
慣性に従っているだけでもよくて、
思い出したいのは、
それは、ぼやけて、
あまい輪郭、早くしないと、
消えてしまう、
浴びるように、溺れてしまっても、いいのに。

残像の浅い光は、
感情の起伏の幅の広い狭いに関わらず、
若くて柔らかい記憶だから、
欲するほどに、単純に遠のいてしまうんだね。

直感を信じてみようとも、辛過ぎる歳月の連なり、
それとても変える?
これこそが変える?


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