わたしは今年50歳になる。 生まれたのが、テレビ放映の年。 渋谷のはずれの広尾病院で生まれた。 広尾病院はただの都立病院だ。でも、ただの区立小中校が名門だと言われるように、何故か今は有名な病院だ。 幼稚園は今の東急プラザの横の246を少し登った辺りの右側にあった。 隣には信じられないが、なんとか言う大学もあった。 奥には力道山のリキパレスがあった。 なので、ヒーロー力道山やグレート東郷を見かけることもよくあった。 ガード下には足のない傷痍軍人が物乞いをしていた。 小学校はその反対側の奥の方にあって、何年か前に過疎で廃校になった。 わたしたちの頃でも28人クラスが2つしかなかった。 幼稚園は南平台に移って今は教会だけが残っている。 思い出してみると、日曜学校やバザーによく行っていた時期もあったっけ。 昭和33年位から5年程の間に街は激変した。 ルンペンのように掘っ建て小屋で暮らしていて、衣服もカビカビに固まって臭っていた級友は、いつの間にか学校からいなくなっていたし、逆に南平台の大きな屋敷に住んでいた子は、屋敷ごといなくなってしまっていた。 いつの間にか鬱蒼とした茂みもマンションに変わっていっていた。 また、その頃246は『50メーター道路』と言うあだ名で高架もなかった。 開発は進んできていたので、あちこちが工事中になり始めていた。 よく犬が車に轢かれてぺしゃんこになっていた。 まだ、犬も道路に慣れていなかったのだろう。 通りを渡ってすぐにタバコ屋さんがあって、その家にも奥の家にも人が住んで暮らしていた。 昭和40年も後半になると、その頃の若者のの多くがそうだったように わたしも未来の自由と繁栄を漠然とだけど真剣に信じた。 ロックも文学も芸術もみんな生き生きとしていて、みんなが勤勉に知的な欲求を持っていたような気がする。 世界には未知のものが溢れていた。 女性解放の活動をしている人たちと議論したこともあった。 納得いかないことも多かったけど、未来が良い方向に進むという漠然とした思いこみは共通していたと思う。 今、2003年になって、この100年、駆け足のように未来を信じて来た時代が終わろうとしているのだなと思う。 あの頃夢見た男社会の論理で成り立っているといわれていた、この社会の再点検も結局なされないまま、逆に保育も女性の就業も後退してしまっているし、教育内容も低下してしまっている。人間の元が地盤沈下しているから治安も悪くなってしまって、善良で平和な社会と一口に言える日本ではなくなってしまった。 何が悪いのかは解らない、あの頃漠然と予想していた未来とは全く逆の未来が来るのだな、と言うことだけが解るようになってきた。 わたし達はどこへ行くのだろう? 時代は繰り返す。と言うけれど、 教科書や書物では知らしきれない、直面しなければ知ることのできない時代の盛衰が、繰り返されてきたのだろう。 それは、もちろん想像することしかできない。 でも、遠い遠い過去にも未来の自由や平和や繁栄を夢見た人々がたくさん、たくさんいたのだと思うと心救われる思いがする。 けれど、世界は変わらない。 世界は変わらないのだ。 今も戦争したいブッシュがいるし、横車の北朝鮮がいる。 日本語のロックは確かに定着したけれど、 なぜか日本語ロックはもう失くなってしまっように思える。 世界は進歩したのだろうか? 2003年は、逆さまへの旅の始まりの年なのか?
|
リンク、引用の際は
マイエンピツに追加 |