早瀬の呟き日記

2008年06月13日(金) 市川さんの本

某SNSのニュースに載ってしまったために、日記で随分取り上げられていたが。

これ、既に本屋で立ち読みしたのだけど、わかる部分とそれはちょっと、な部分とがある。

問題は、この人があまりに長くXやLUNA SEAのメンバーを見てきたことと、間近で見てきたことにある。

ファン歴はそれぞれだし、見えている部分も一緒に酒を飲むような関係とは全然違う。
それは、別にギョーカイ人だからどうこうというのではなく、単純に「時間」と「距離」が違うから、「視点」が違っちゃうよね、という話。

ビジュアル系が今は一つの「型」になっていて、若いバンドがその「型」に自らはまった上で自分達なりにアレンジしていることは間違いない。
オリジナリティはもう、そこにはない。
彼らが先輩の「遺産」を食い潰しているとしても、それはどのジャンルでも同じことなのだから別段批判されるようなことでもない。
売れるか売れないか、好きか嫌いか、それだけだ。
XやLUNA SEAの当時は、そうした「型」自体が新しかったわけで、時代とともにそこから抜け出た彼らをビジュアル系と呼ぶのは、もはや違和感がある。
XはXでしかなく、LUNA SEAはLUNA SEAでしかない。
そこまで、この2つのバンドは上り詰めたと思う。
だから、論点は、この2つのバンドがこれからどう振る舞い、過去と未来をどう接続するかに限定したって別に構わないと思う。
確かに、「新曲」は作り出せないかもしれない。
「あの時代」と結びついた、妙に文学的で閉塞的でナイーヴなのに屈折したヒリヒリするような曲は、もう今では古臭く見えてしまうかもしれない。
それでも何かの普遍性を目指して彼らが再始動するというのなら、失敗も成功も含めて、私は見届ける。
成功だけしか愛せないような愛し方で、ここまで来れはしないよ。

ついでに、ヒデサミに関して言えば、「中身のないイベントだった」と評する人は「ドーナツに中身がない」と批判するのと同じアヤマチに陥っている。
そこじゃないんだ。
「あの場」で「そこにいた」ことにしか、意味はない。
そういうイベントだった。
時間が経てば何もなくなってしまうのだとしても、それがすなわち「無意味」ということではない。


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琳 [MAIL]