| 2006年08月15日(火) |
大丈夫!日本は安泰であります。 |
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どうですか、「最近の若いモンは損得ばかりを優先して公共のために尽くすという精神が欠けている。これも戦後民主主義教育の弊害が(以下略)」などと年寄りに言われ続けてきた日本の若者のこの立派な回答率。 オトナの皆さん、もう大丈夫。日本は安泰です。何も心配は要りません。 自分の国を誇りに思っているわけではないけど何故か勇敢に戦う若者。 「まず避難する」4割弱の正直な人々を守るために、勇敢に戦う4割強の若者。 心強いですね。 願わくは、後者が前者を非国民呼ばわりなどしないでくれるといいのですが。だって、騎士は弱い者を守るのが使命ですから。 え? 騎士じゃない? だって、日本には徴兵制はないし、自衛隊志望者がこんなにいるわけはないし、武器だってアメリカのように出回っているわけでもないのに「率先して戦う」と言ったって一体どういう立場で何を持って戦うのかよくわからないので、とりあえず彼らの熱いスピリットを「騎士道精神」と解してみました。
安倍晋三氏の「美しい国へ」(文春新書)を読みました。 大変まともなことを書かれています。 まあそうだろうな、という感じです。 ただ、ところどころ気になるのです。 たとえば「国民がパスポートをもつことによって国家の保護を受けられるということは、裏を返せば、個々人にも、応分の義務が生じるということでもある。たとえば、タックス・ペイヤーとしての義務を果たす。一票の権利を行使する。」(P64) ここで、「義務」と「権利」とがイコールで結ばれているのがよくわかりません。「権利には義務が伴う」という意味なのかもしれませんが、少々大雑把に過ぎる表現ではないでしょうか。たとえば「黙秘権」は「黙秘の義務」ではありません。 また、「自らが帰属する国が紡いできた歴史や伝統、また文化に誇りを持ちたいと思うのは、だれがなんと言おうと、本来、ごく自然の感情なのである。」(P91)と言う一方で「若者たちが、自分たちが生まれ育った国を自然に愛する気持ちを持つようになるには、教育の現場や地域で、まずは、郷土愛をはぐくむことが必要だ。国に対する帰属意識は、その延長線上で醸成されるのではないだろうか。」(P95)というのは、国を愛することや帰属意識というものが要するに自然なのか自然でないのかどっちじゃ、と思わなくもないです。自然ならば別に「はぐくむ」必要はないわけで。 また、「ジェンダー」と「セックス」という用語の違いについても無頓着なご様子が少々不安です。どちらも日本語だと「性差」だから同じだ、というわけではありません。 武田泰淳は「政治家の文章」(岩波新書)の中で、「政治的な用語の肌からは、ある種のぬきがたい無神経さが、脂汗のようににじみ出ている。」(P64)と書いてますが、安倍氏の、政治家としては比較的良心的な印象の文章にも、それは宿命的に出ているように感じます。 「ときにはそれ(注:自分の命)をなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。」(P108)と、他人に対して平然と投げかけてしまえる神経は私には理解できません。それはどのような場合か、ということに一切触れずこう書いた場合には、ヒロイズムと呼ばれても仕方ないのではないでしょうか。 つまり、自分の命を投げ出さなければならないようなどん詰まりに、何故なってしまったのか、という問いがここでは抜け落ちているのです。 そして、何度かこの日記でも書いたかと思いますが、「守る」ことと「攻める」ことは時として全く同じ行為であることがあります。その意味で、確かに「大東亜戦争は自衛の戦争だった」という言にも一理あります。ただ、「自衛」だろうが「侵略」だろうが、「事実」が消えるわけではない。「守るため」なら人はかなり残虐にもなれるものだ、ということは、呟いておきたいと思います。 歴史問題や外交問題に関して私が国民の立場から最もよいと考えるのは、いろんな意見やいろんな事実が多く提出されることです。たくさんの言葉、たくさんの事実が「場」に出されることが、フェアな言論形成というやつではないでしょうか。その点で、「戦争はよくない!」で思考停止に陥りがちな「なんちゃって左翼」(私のことです)よりも右翼(と仮に呼ばせてもらいますが)の人々の方が勉強家で、頭が下がります。 どんな意見を持とうが、自由です。しかし、「黙れ」という言葉だけは、決して言ってはいけない。 それは民主主義から最も遠い言葉です。
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