| 2005年11月06日(日) |
Tourbillonのこと |
TVCMでさらっと聞いたときにはそれほどでもなかったのだけれど、マキシ2枚を聴いてかなり「これはイイ!」と思った。 私はLUNA SEAのファンなので贔屓目はどうしても入ってしまうが、Tourbillonは「LUNA SEAの遺伝子を受け継いだ別人」だと思った。人間で言うなら三代目か四代目といったあたり。面影は確かにあるが、別人。そういう感じ。 しかし同時に、LUNA SEAとの決定的な違いがある。あくまでも私見だし、音楽の素人だから的確かどうかはわからない。でも、終幕以来、「LUNA SEAではできなかったこと」を最もはっきりさせた活動が、Tourbillonだと思う。その意味で、RYUとINORANが組んだこのユニットに至って、本当にLUNA SEAは終幕したのかもしれない。 恐らく、もしこの先5人が集まることがあるとしても、もうそれは「LUNA SEA」とは呼ばれないだろう。 私は、これに対して別に否定的ではない。いや、Tourbillonを聴くことで、前向きな諦観としてわからされたのだが。 RYU曰く、Tourbillonは「大人のロック」だそうである。その意味するところは、LUNA SEAとの対比で理解できると思う。 LUNA SEAは、「思春期のロック」だった。メンバーが若い頃に立ち上げたということもあるが、自分達を追い込むことでより高い次元に昇るという道をたどってきたし、受け手との距離をできるだけ近くしてきた。少なくとも、近いことが望ましいというスタンスだった。受け手は、コスプレに見られるようにほとんど同一化に近い思い入れを彼らに抱き、その近さ故に、彼らの行動に悩まされることも少なくなかった。私もその一人だった。 LUNA SEAは、本質的に「追い詰める」バンドだったと思う。それは「送り手と受け手の距離感」が思春期的だったということでもある。 一方Tourbillonは、そうした同一化を必要としない。その作品には、送り手と受け手の適度な距離感がある。作品が作品として完結している。私は大抵の場合、マキシのカップリングであるインストバージョンは無駄だと思うのだが、Tourbillonは違った。曲のVo.バージョンとインストバージョンとが等価値である。これは明らかに、LUNA SEAの方法論ではない。 かといって、受け手を無視している訳でもない。不思議な距離感だと思う。
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