少し、感情の整理をしてみた。 つまり私が「2」に感じた違和感は、この一年間に原作を通じて二人のイメージを強固に作り上げてきたため、監督の描く像と摺り合わせができなかったことに起因しているのだと思う。 例えば、パンフのインタビューにあった「晴明は鬼にならない、いや、なれない」一方、博雅は「可能性はある」。 私は、逆だと思う。晴明は、なろうと思えば何にでもなれるけど、博雅は博雅でしかありえないし、鬼にならなくて済むような天命にあるに違いないと信じている(笑) 私の中では晴明=スナドリネコさんなので(笑)「なぜなれるかは問題じゃないよ」「なぜなれないのかが問題なんだ」(8巻)って、言いそうな感じ。そういう掴み所のない彼の、良い部分を引き出し繋ぎ止めているのが博雅な訳だ。 だから監督の「原作にはない晴明の人間らしさを追求したい」という方向はちょっと違うな、と。大体「弱点=人間らしさ」という定義が疑問。 そりゃ、折角映画にするんだから原作と違うものを、という姿勢はわからんじゃないが…。 博雅は笛が吹けて笑いが取れればいいってもんじゃなく、監督だっていくら何でもそうは思ってない筈なのに、今回はそう見えてしまう。なんか、あちこち神経が行き届いてないなあ、ってのがつまりは2の全体像。 もし「3」をやることになって、監督があくまでも晴明を困らせたいと思うのであれば、「鬼小町」をモチーフにするくらいでいいな。ついでにもう、ドカーン!とかバコーン!とかは結構。派手なばかりが特撮ではないだろうし、そういうのは2でやり終えたということで、地味でいいから丁寧に作って欲しい、ってのが個人的希望。 …でも結局今回もDVD買いそうな自分が憎い…。おおう(泣)
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