やっと時間的に一段落したので、両サイトの方に手が回ります。ひょっとするとあと数日落ち着かないかもしれませんが。 と、その前に心の血糖値を上げるべく、またしても「陰陽師」を見る早瀬。何回目だよコラ。 いやーなんか、野村晴明の俺様受な色気と伊藤博雅のヘタレ攻っぷりってば、かなり早瀬の精神的スタミナを補充してくれますね。たぶん脳内では変な化学物質が出まくってるでしょう。ピンク色の(笑) ところで、兼家と博雅のダメそーなコンビ、結構好きなんですよ。「呪?」のハモり具合とか、リアクションのお馬鹿っぽさもいい勝負じゃないですか?(笑) 劇中では兼家と博雅がどういう関係なのか説明がないんで、「何故私が行かねばならんのだ?」という博雅の疑問に「ほんとだよ」と頷いてしまう訳ですが、原作を読んで謎が解けました。 これはアレだね。晴明の式神が兼家の枕元に立って一晩中「誰ぞを我が屋敷に寄越すなら博雅にせよ博雅にせよ」って囁かせたんだね! そうよ、だって瓜のことで兼家が相談に来ることはわかってたんだもん。博雅に一目惚れした晴明の策略だね。んもう、なんちゅう映画でしょう。(←爛れすぎ) しかも、青音から出た鬼を「切れ、博雅!」って言われて「ひ、博雅ぁ?」と聞き返すとこも初見から笑いましたが、今見たら、続けて「博雅、切れい!」と叱られた後「はい」って答えてるんだよ博雅!(笑) もお、アレね、立場の強い年上の新妻とヘタレな旦那みたいな(笑) ああんもう、スイートホームv(意味不明)
さて、馬鹿話は置いといて。 以前にも少し触れたかと思いますが、芸能ジャンルの「裏」に関する知識サイトを見て以来、これに関して多少考えるようになった訳ですが、最近人づての話やよそ様の防衛策を見ると、改めて、自分がデンジャラシーな場に足を踏み入れていることに気づきます(苦笑)。 まあ、バンド系って他と比べると同人人口が高いような気はしますけど。 詳しいことは↓をご参照頂くとして、
http://www3.to/MissingPlace/
そりゃあね、「ありがたくも放っておかれてるからこそ成立している世界」であるのは確かなので、防衛策として地下へ地下へ、より深くへ身を潜めるというのが最も良心的かつ効果的なテだとは思いますけれども、なんかあまりに消極的というか、「変態でごめんなさい違法ですいません、だから見えないところに隠します」では、あまりに卑屈すぎないか?という気もするんですよ個人的に。法的、道徳的にどうあがいても「悪」でしかなくてもね。だからっていつまで経っても立場弱いまんまでいいのかよ、という気もする訳で(笑)どうにかできないんか?とプロレタリアートみたいな気分にもなるのです。(←誇張) 同人屋の自己弁護という枠で捉えられると意味ないんですが、ちょっと無責任な評論家的視点で言えば、「実在の人物」とは言ったって、同人屋を含めた「視聴者」が見ているのは1人の人間のごくごく一部な訳です。彼らは自分の「芸」を含めた能力とか、世間的に「いい(と見えるであろう)ところ」を見せることが生業です。スキャンダルを売り物にしている場合は別として(それだってイメージ戦略である場合もあります)、基本的に「悪い(と見えるであろう)部分」は見せないことで、商売してる訳です。視聴者の一部がメディアを通して受け取ったイメージを元に妄想して、それを同好の他人と異様な熱意で共有したところで、「むしろそうなるのが当たり前じゃないの?」と私は思います。だって、視聴者にとって彼らは「きれいな部分でできたイメージ情報体」なのですから。 「イメージ情報体」というのは、「××さんはこういう人」という外見や内面の情報を含んだ理念型、つまり概念を指します。早瀬の造語です。直接の知り合いでも多かれ少なかれそういう受け取り方を人間はしていて、十年以上付き合った人間でも「ええーこんなところがあったのか」と新発見をしたりします。直接の知り合いの場合は、同じ「イメージ情報体」であっても手に入る情報量が格段に多いために、「リアル」な付き合い方が出来ます。しかし、メディアを通じてしか知ることの出来ない芸能人は、最後まで「高度のイメージ情報体」で在り続けます。例えば、身近にいる人から見ると全然「王子様」なんかではない「王子様」アイドルとかですね。 無論当人が同性愛(やおいは厳密には違いますがまあ、一般的に)を気持ち悪いと思っていようが、妄想系ファンを侮蔑していようが、そりゃ本人の自由ですから一向に構いません。しかし、それを「訴えるぞ」的に(つまりこっちは正しくてあいつらが絶対的に悪い、というふうに)捉えるとしたら、じゃああなたはどういう商売をされて(何で利益を得て)いるのですか、と。(実際にはそう公言しないでしょうけど。イメージ悪くなるから/笑) 自らイメージ情報体として振舞いながら、イメージ情報体として扱われた結果に不満を言うのは、おかしいのではないですか?と。 「いい扱われ方はOK。でも悪い扱われ方はNG」という反論もあるでしょうが、じゃあ「いい」「悪い」って何でしょう。「王子様」はよくて「ホモ(これも厳密にはやおいとは違いますが一般的用語として)」は悪い。まあ、世の中にはそういう「真っ当な」人もいますけど、そういう「真っ当さ」はもううんざりというか、しかし、そういう「真っ当さ」のお陰で自分の快楽が逆説的に成立していると考えると、何やらありがたい気にもなってくるかもしれませんが(笑) また、「相手を不快にするから悪だ」という理屈もありますが、これも注意が必要で、一対一の人間関係及び人情的に繋がりのある比較的少人数のグループ内ならそれは真っ当な理屈なんですが、これが日本全国一般論になると、「誰も不快にしないことなんかできるのか?」「どこからどこまでが『イケナイ不快人数』なんだ?」という問題が発生します。人間の言動に、完全に誰をも不快にしないものなんてあるのか?ということで、たぶん自分の意図しない結果に対しても責任を負う気構えが倫理と呼ばれるものですけれども、自分の信条としてはともかく、ルールとして他者にそれを強要されるとどこまで責任取らされるかわかったもんじゃないでしょう。ここまで書いたことで、既に誰か不快になってるでしょうし・・・困ったね(笑) まあ結局、報道サイドに自主規制が求められながらも相変わらずパパラッチ的なゴシップ重視だったりするのと大差ないのかな(笑) 同人屋はアルセーヌ・ルパンのような、「スマートな悪党」を目指すしかないのかしら(笑) 孫の一味でもいいですけど(笑)
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