また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)
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2004年07月13日(火) |
硬直化した劣等感の発見とその受け入れ |
夢を見た。
失いたくないもの。 失っているもの。 初めからないもの。
欠損感に対する猛烈な感情。 「ないもの」と「あるもの」。 「ないひと」と「あるひと」。
「おいていかないで」という声。 はなれたくない。
1、「数学は出来ない」 そして「彼」は「数学が出来る」とする。(そう「俺」が思っている) この堪え難い感覚。(硬直した無前提)。 自分は数学が出来ず、机の上には課題のページが開きっぱなしになっている。 「彼」は「数学は苦手だ」と言いつつも、いつの間にかそれをこなしている。 俺は「出来ない」。「この課題に取り組むことが出来ない」。
毎回このたぐいの夢に出てくる「彼」は違う特定の人だけど、 結局こういうことにに気づかせるメッセージを発する「彼」は 「X(エックス)」として表すことが出来るかもしれない。
2、「頭がいい」 「『彼』は頭がいい。」という無前提の思いこみ。 こういうへんなものに俺は無意識で支配されている。 どこかで自分が不明で暗愚だとどこかで思っている。 それは、自分が子供のとき、親に育てられたときに、 親から何らかの形で引き継いだ観念なのか。
3、運動能力、もしくは視力? 運動やスポーツが出来ないという強い思いこみ。 車の運転など、自分の視力では、現代社会で認められないこと。 サッカーや野球。特に球技。 目が悪いから、やはり野球より、球が大きいサッカーがいい。 スノーボードも「『危険なこと』は出来ない。」 もっともっと安全な状況を確保した上での「冒険」を強化したい。 健康に「リスクを冒す」ということ。
3、「空間が切れる」こと ドラえもんの初期の映画で「のび太の宇宙開拓使」というのがある。 この映画を子供のときに見て泣いたのを覚えている。 何らかの偶然で「つながった」、のび太とロップル君。 地球とあまりに遠く離れた二つの星が、畳の下でつながった。 でも、ある日突然にこの空間は途切れてしまう。 「なんで?」
NHKのアニメ「子鹿物語」では、 主人公スターリングの幼なじみの男の子ホダウィングが突然死ぬ。 最後には、子鹿のフラッグを自分で殺してしまう。 そんな理不尽な話があるか!
唐十朗のむかし見たテレビドラマ。 田中裕子が出ていた。 小学生とか老人とか、行き場のない人たちが出会い、 そして一緒に生活することになった。 なんという安心。なんといういしあわせ。 でもそれは、本来のそれぞれの「家族」によって引き裂かれ、 みんなばらばらになっていく。
「家族なんて信じない」 と、俺はどこかで思っている。 「しあわせは長続きしない」「しあわせは引き裂かれる」 とどこかで思っている。
最近読んでいる本 「グリーフワークの進め方」全6巻(斎藤学講演録)
1)トラウマと停滞、癒しと成長 2)「安全な場」の確保をめぐって 3)回想と悲嘆の仕事(1) 4)回想と悲嘆の仕事(2) 5)回想と悲嘆の仕事(3) 6)人間関係の再構築
ヘルスワーク協会連続講演会記録(1995年6月7日) 著者名(講師): 斎藤 学 出版社名:ヘルスワーク協会 定価(税込): 3150円 出版年: 1997年
http://www.iff.co.jp/frame/booksales.html 検索に「グリーフワークの進め方」と入力すると該当書籍を表示。
きのうは宮島に一人で泳ぎにいった。 からっとしたいいお天気だった。 あんな沖まで泳いでいったのは初めて。 世界が広がっていくのを感じる。
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