| 2005年08月05日(金) |
ご先祖様とののさま 2 |
昨日の話の続き・・・というわけではありませんが・・・。
えと、最初にお断りしておきますが、私は特定の宗教や新興宗教に入っていたり、それを広めようとしているわけでは全くありません。
ただ、なんと言うか、ちょっとインチキくさい宗教に傾倒している方はまた別として、信仰心の厚い方、或いは自分のココロに一定のルールというか、キチンとした考えを持っている方は素敵だと思います。
いつでも背筋がピンとしている感じがしませんか?
ちょっと前、みのりに質問してみました。
「ねぇ、みのり。ののさまってどこにいると思う?」
すると、
「ほんどーっ!!(本堂)」
という答えが即座に返ってきて、私は思いがけずちょっと噴き出してしまいました。
「確かにっ!」
それは大当たりだわ(笑)
だけど私が言いたかったのとちょっと違う。
「それもそうなんだけどね。でも、それはののさまが飾ってあるんでしょ。
みのり、いつも歌っているでしょ?♪お目目つぶるとののさまの〜♪って。」(7/27の日記参照)
「うん。」
「目を閉じてごらん?どう?ののさまのお顔、見えた?」
「うん。」
「そうそう!そうなんだよ〜!!てことは、ののさまも、いつもみのりの事を見てくれているって事なんだよ。」
私は、私が全てを語らなくてもみのりが自分で答えを導き出してくれたことを、心底嬉しく思いました。
これから先、色んなことが起こると思う。
楽しいことも、辛いことも、同じくらいたくさん。
もう少し大きくなると、悪いことに誘われたりするかもしれない。
1人対大多数の、陰湿ないじめを目の当たりにするかもしれない。
そんな時、周りに流されることなく、悪いことは悪いと判断できる子になってほしい。
無理かもしれないけど、キレイゴトかもしれないけど、心の純真な今のうちから、すこーしずつでも自分の判断基準をしっかりと植えつけていけたらいいなと思ってるんだ。
「いつも、ののさまは私のことを見ている。」
イコール
「いつも見られている。」
人間てつい自分に甘くなりがちだから、そこで誰か(まぁ、キリストだったりお釈迦様だったりするわけだけど)に見られている、つまり言葉は悪いけど、「監視」されてると感じることで初めて、常に自分に厳しく生きられるんじゃないかと思うんだよね。
だから、そういう意味で、「宗教」というのも、まんざら悪いものでもないと思う私です。
ですから、宗教に頼らなくても自分でキチンと自分のことを制することのできる人は、それで充分だと思うんですけどね。
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