4254.0516の日記

2002年06月02日(日) 心が伝わる。


 今日は1日新宿の街を歩き回っていたので、とても疲れました…。
 午前中から出かけたのだけれど、ちょうど私の地元近くにW杯のスタジアムがあった
 関係で、イングランドサポーターらしき人々がたくさんいた。
 昨日も書いたとおり、私はW杯(自体の)大FANなので、そんな人々を見るだけで
 大興奮!
 何となく微笑ましく、外国人の人々に対する表情も何となく緩みがち。
 本当にW杯ってすごい!って実感。
 色んな国の色んな人が、本当に日本目指してやって来ている。
 嬉しい限り♪
 そんな私は、注目のイングランド戦をビデオに取り、W杯とはまるで関係のない
 1日を過ごしておりました…。

 私は一応”カウンセリング”というものを勉強しに、大学を出ても進学し、その道を
 極めようと悪戦苦闘中。
 そこでのキーワードで『共感的理解』、『傾聴的態度』というものがあるのだけれど
 私はそれが大の苦手。
 『共感的理解』とはその人の立場に立って、その人のありのままを受け止めるという
 もので、『傾聴的態度』というのは、どんな話でも相手が何を言っても黙って話を
 聴くというもの。
 これが所謂ベースといわれているもので、カウンセリングに関わる者なら誰しも
 耳にしたことがあるはず。

 でも、出来ない!!!

 人の好き勝手な話を黙って共感しつつ聞くというのは意外と難しいことで、私は
 この基本的な技術ですらマスターする(のは無理だろうけど、少なくても自分の中で
 納得する)気配もなく、かなりのコンプレックスだったりする。
 人の話を流すというのは簡単だけれど、本気で聞きつつ没頭するというのは本当に
 難しい。
 私も1人の人間なので、「あんたが甘ったれてるだけだよ!」とか「そんな程度で頑張った
 なんて言うのはどうなの!?」みたいな、若干人より辛めの感想が頭をよぎって、
 話に”理解”なんてものは示せない。
 人には毒舌なんて言われているくせに、何事も不真面目に聞くことが出来ないから
 余計ハマっていくのだろうけど…。
 私からすりゃ、「そうだよね。うん、うん。」なんて、話をよく聞いてくれる人ほど
 話を聞いてないと思うんだけどなー…なんて負け惜しみか…。

 ただ、この頃思うのだけれど、私にとって真摯に向き合いたいとか、付き合い自体が
 真剣勝負みたいな人がいて、その人のそばにいると何も言わなくても、遠くから
 見ているだけでもその人がどんな気持ちでいるのかが『伝わって』しまう人というのが
 いることに気付いた。

 悩んでる・落ち込んでる・苦しんでる・喜んでる・楽しんでる…そういう気持ちが、
 見ているだけで手にとるようにわかってしまう。
 そういう時に何が出来るかというと話は別問題。
 ただありのままの『こころ』が伝わってきてしまう。
 それは時に苦しく、切ない。
 そして人に対して出来ることなんて何も無いと公言して憚らない私でも、何もできない
 自分にいたたまれなさを感じる。
 いっそ気付かなくて、わからなければ何を思うこともないのに…。

 そういうときには、可哀想とかいうような客観的な感想ではなくて、完全に私の中に
 入り込み、私自体がその人に引きずられるように気持ちが伝播してきてしまう。
 だから、落ち込んだその人のそばにいると、わけもわからず自分が同じテンションに
 なってしまっている。
 心配しているわけでも、可哀想と思っているわけでもないのに、知らず知らずのうちに
 その人の『フィールド』の中に自分が入り込んでしまっているみたい。

 コントロールできなければ技術としては使えないけど、これも立派な『共感的理解』
 ってことに気が付いた。
 なんだ、出来るじゃん♪みたいな。
 自分の中の力動的な部分は、どうしようもなく引っ張られるけど…。
 いや、むしろ振り回されてるな。

 ♪BGM/『自己ベスト』 小田和正


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