たべのこしたカップラーメンの、ねばねばと茶色い汁
うっかり、手帳を落として、洗い流せない でも仕方なく使っているような部屋
そんな部屋が、私の青春時代のイメージ
ねばねば 茶色 仕方なく 部屋の中 なにもできない
そんなイメージが、私の青春
人間関係も、金銭感覚も、社会への気持ちも同じだった
安定しているのが現在
分析をし、対策を考え、自分を律しようとし、安定へと向かう
経験が分析を生むのかどうかは判らないけれど、
物事を分析する癖が、フライパンから取れない焦げ付きのように、
心にへばりついている
青春時代のねばねばの原因を こんな風に分析するほどに へばりついている
肉体はご先祖様、英霊、あらゆる世の中の物事のつながりの中で生じてきたもの、私の心が生じさせたものではない
そういう分析はできている
けれども、この肉体が無くなること
つまり、死ぬことが恐くて、怖くて、こわくて
こわくて めがさめる
ドッ ドッ ドッ と大きな音を心臓が跳ね飛び上がって 目が覚める
分析の癖はこびりついた
でも、死ぬことが こわい
こわくて 仕方がない
青春の茶色の、その仕方がなさ と同じ
どうしようもない くるしくて どこにもいけない
分析など何もきかない
家族に、輩(ともがら)に、他人に、世の全てに感謝する
分析して、その結果、感謝する
合理的判断で本能を捻じ曲げて安定へと向かわせようとする
けれども、その奥こそには
けれども、青春時代を思い出す老人の心の奥底には
死へのこわさ が大地のように横たわっている
その上に、ちょこんと小さく立っているだけ