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「 善なり人になったとして困ること 」
2020年07月15日(水)



 町内会の老人に毎日優しく接すること、子煩悩で子供の習いごとに付き合う毎週末、募金活動を通じて世界の人々のために時間を費やすこと。

 善なる心、仏教の「善い行いをする」という心に沿う行動です。

 けれども、この視点では長期間の戦略性が失われています。
 例えば、国家運営、安全保障、外交関係などを進めるための戦略性です。

 鈴木大拙氏が当時の日本政治を批判した文章を読めば一目瞭然で、国家運営の基本や安全保障のための必要悪などは理解できていません。

 ですから、仏教の信仰を進めることが、戦略性の欠如に通じてしまうのではないか、と悩んでいます。

 「善なる行いをする」を心の奥底から信じこもうとすると、そこに大きな落とし穴を感じてしまうのです。

 町内会の老人に日々あいさつし、なにやらこれやらの世話を焼くことは、自分の善い心を育てることになりますし、一心不乱に没頭することがさらに育てることになります。

 しかし、人の命は有限です。

 自らの人生の目標に費やす時間は減るのです。
 人生の目標を達成するためにかけなければならない時間が少なからずあって、そこに時間を計画性を組み込むという戦略性が必要です。
 どちらを優先するべきであろうか、と悩むのです。

 両者に囚われず、融通無碍に少し遠くから眺めるという視点も確かに仏教にはあります。

 けれども、それでは時間の使い方を決めるには決めかねてしまうのです。
 どこまでいっても時間の使い方を統括して無駄な時間を削らなければ、達成できない目標というものもあるのですから。

 また、国家経営や安全保障の前提である、利害調整や必要悪の前提である欲望の肯定が、仏教の悟りや善なる心を育てると相反することもありますが、簡単に先ほど簡単ですが述べたので繰り返さないことにします。


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