理性というものの正体は何か
理性が無ければ、私が生きている、と思ってしまう
しかし、私は生かされているのである。空気は自分で作り出したものではない。
地上も私が踏み固めたものでもない。食べ物、建物、誰か、これら全てがあって創めて、私が生きることが出来る。
事実の正確な認識が理性だとするならば、理性とは「私が生かされている」という認識に導く、導き手の役割を果たす。
であるからこそ、私が血縁もなく、将来、必ず死ぬ、という虚無感に耐えられるのである。
私が生きている、と誤った認識を持っていれば、40歳前後の男性の自殺衝動を抑えることは出来ない
自殺衝動、虚無感から、事実の正確な認識によって、自己の生命の根源を見つめることへと理性は導く
言い換えれば、理性とは、全宇宙を認識し、そして自己の根源と結びつける性質がある。
その結果として、私は生かされていることへの感謝へと、心からの心服にたどり着く
愛する人が亡くなり、血縁者がいなくなり、それでも尚、虚無感や自殺衝動を払底するのが理性である
理性が、神と結びついて語られてきたのも、こうした体感が裏打ちしているのであろう