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「 ブッダ、イエス、ムハンマドの肯定する「愚かさ」と欺瞞 」
2016年05月15日(日)



 
 「今日も朝、目覚めることが出来て、感謝だねぇ〜。そういう歳になったんだねぇ〜」

 という声がラジオから流れてきた。


 早朝、踏切のカンカンカン!!

 という音の中で、己の肉体に、感謝の言葉をすり込んでいる、のを想い出した。


 肉に塩をすり込んで、生ハムにするように

 肉に感謝をすり込んで、生きる屍(しかばね)に

 するのである。

 生きる屍はもう死にはしない。

 だから、感謝を隅々まですり込んだ肉体と心を持てば、死は怖くなくなる。

 そういう死からの逃避、死の受け止め方があり得る。


 死の恐怖、死の悲しみに捕われて、バタバタをもがき苦しみたくない

 死の恐怖、死の悲しみに捕われて、やるべきことが出来なくなりたくない

 生きる屍への大きな動機だ



 けれど、肉体という物質と、感謝という心を一体化させる処に欺瞞が潜む

 物質はあくまで物質に過ぎない。その根源に感謝などありはしない。

 根源に感謝を置きたいがために、神に宇宙を創造させ、仏に輪廻転生からの解脱という超越的な能力を与え、二柱の神々に生と死を司らせる。

 それらは、全て物質の根源に精神性を倒置し、欺瞞に身を浸らせたいがために過ぎない。


 タレースが万物の根源に水としたのも同様であり、デモクリトスの原子も同類に過ぎない。

 人類は物質の根源を現在でも完全に摑みきれていないのだから。

 全て物質の根源に精神性を倒置することは、欺瞞に過ぎないのだ。


 なぜ、ブッダは、イエスは、ムハンマドは「愚かさ」を排除すべきとしながらも、こうした全ての物質の根源に精神性を倒置するという欺瞞上の「愚かさ」を取り上げなかったのだろうか。

 神は否定しながらも仏を肯定する。

 無からの創造神を肯定する。

 神の声が世界の規則であることを肯定する。

 
 どうしてこのような欺瞞に倒錯するのを許すのであろうか。

 ポツン、と、その何もない地点に立つことを薦めないのであろうか。


 彼らもまた、死の恐怖から逃避する生きる屍をすくい取ろうとして、いつの間にか死に囚われてしまったのだろうか。

 空は青い。

 ただ、ただ、青い、だけなのだ。


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