古寺名刹の白壁を細かく、細かく砕いたような白浜が月を描いていた。
月が切れる松林を眺めながら、まるで野菜炒めのような熱気がお日様を揺らしているわ、とハンカチで襟首を押さえた。
白々とした日傘のレースと同じようなロングスカートに浮かび上がるカットアウトヘムとシャツの濃緑が、さっきから位置を変えていなかった。
江梨子のお気に入りのスカートは、年に1,2回も着てもらえればいい方であった。
年々きつくなるウエストに、加齢と惰性の日常生活を感じるし、大切な思い出が必要になる時間が少ないからだ。
けれど、旅行に行く時は長くても短くても必ず持っていく習慣が出来ていた。何となく白いロングがないと落ち着かなくなっていたからだった。
くるり、と江梨子は振り返って思わず目を細めた。
燦々と光を受けてサファイアのように輝く海面が、一瞬で感情の息を飲み込ませたのだった。
力が入って持ち上がった日傘の両手が豊饒な胸部から臍の位置まで下がった時、頭の中に記憶の波が押し寄せてきた。
木造モルタルの安アパートの2階だった。ろくなカーテンのついていなかった窓は四六時中、川面からの反射光で白々と輝いていたのだった。
真冬でガタガタと揺れる時ですら燦々としていて、何だかこっけいで思わず吹き出したことがあったっけ。
窓辺にあったベットの上で盛り上がっていきながら、そんなことに笑った。
恋人はそんな私を叱りもせず、笑いもせずに見つめてくれていた。
燦々とした移ろいが心の中に映(うつ)ろったのは、そんな時かもしれなかった。
白皙(はくせき)で日焼けは真っ赤になるから、と海に来たことはなかったのだけれど、何処かしら漣(さざなみ)を感じさせる人だったのだった。
貧しい漁村から都会に出てきた私は、彼の肉体に包み込まれてやっと都会にいていいんだよ、と言われたような気がした。
彼のプレゼントは殆どがお菓子や写真だったし、結婚の時に相手の両親に処分されてしまった。
濃緑の海が引き潮に入ったようだ。
細めた目が徐々に開いていくと同時に、私(わたしく)はもう、漣は失いたくない、という記憶のバルブが開けられてきた。
このロングスカートと漣を切り離したくない。
海水の生暖かい気持ちよさが、足指から踝(くるぶし)へと上がりだし、スカートを包み込もうとする時、後ろから音がしてきた。
銀縁眼鏡をかけた父親と仲睦まじくラムネを買いに行った5歳の娘なのだろう。
この体を早く、速くあの反射されたベットの上へと横たえたくなって、心は閉じていった。
開いていく瞼(まぶた)に反比例するように。
執筆者:藤崎 道雪