くまま 読みの日記
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2003年06月06日(金) 励ませる人

空神が、「かーくんばいるから寂しくないよ」と言ってくれた後のこと。

母の日にくれた、ミニカーネーションのポットを枯らしてしまい、片付けると、空神が「お花がないよ」と言った。
「ゴメンネ。かーくんがくれたお花だから、ママ、ずーっと大事にしようと思って頑張ったんだけど、枯れちゃったんだ。ホントにゴメンね」
ぼくがあげたお花なのに。
と悲しくなられちゃうなあ、と、心底申し訳なく思って言うと、
「大丈夫だよ、ホラ、トマトがあるから」
と、逆に励まされてしまった。

本で、日本人(日本の子供)は、気持ちの同調は強い物があるが、それに対する助言が出来ない、と言うのがあった。
つまり、「人の気持ちを分かる」のは得意だが、人を慰めたり、勇気付けたりは出来ないということ。
これには、はあ、と納得する部分があり、自分に思い当たる節も強かった。
そして、これが出来る子にすることは、私の育児の大きな部分を占めるテーマになっている。

20年近く前、祖父が死んで1年も経った頃だったかな。
夜寝ようと居間を通ったら、ソファーで母がボロボロ泣いていた。
その時に、母には兄と姉が居るが、2人はおじいちゃんの兄の子で、戦争で亡くなった後に、おじいちゃんがおばあちゃんをお嫁さんにして(戦時中はよくあったことらしいけど)、産まれた子が母なので、祖父の実の子は母1人だから、おじいちゃんが亡くなったことが、一人ぼっちになったように悲しいそうだった。

その時、私は母の悲しみを打ち明けられたことが重たくて重たくて、同情どころか、とても苦痛だった。

私みたいな子供に、そんなこと言ったって、仕方ないじゃない。
どうして、私みたいな子供に、そんなこと言うの?
私にどうしろっていうの?

逆に、責めるような気持ちだった。
きっと今なら、「寂しくないよ、私達がいるから。」それだけで良かったんだな、と思うのに。

そのことがあって、私は親の気持ちを子供に素直にぶつけると、子供には大変な心労になると思っていたので、空神には自分のキツイ部分は見せないようにしてきた。
でも、この子は、感じたことをそのまま自分の重荷にすることなく、横から支えてくれる子なんだなあ、と、最近シミジミ思う。

そして、その空神の励ましの言葉を聞いて、私自身もどう言えば、どうすることが励ましになるのか、知ることが出来た。

おかしいなあ・・・
空神に、その都度、励ましの言葉を提言してあげて、そういう人になってもらいたいと思っていたのに、すっかり逆になってしまったなあ・・・;


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