2005年11月13日(日) |
三島由紀夫『春の雪 豊饒の海(一)』 |
聞きしにたがわぬすばらしい作品です。 作者のいつくかの短編に見られるような王朝風、懐古的ともいえる雰囲気がこの作品で結晶化されています。 もう読み始めた瞬間に、優雅でどこまでもシャープで美しい世界にひきこまれてしまいました。
でも、とても不思議な感覚なのですが、ただ受身でそこにある物語を私が読んで、「すごく面白い!」と思っているのとは少し違う感じでした。 あえて言うならば「こういう作品が読みたい」と私が潜在的に思っていた世界がそのまま描き出されているような、どこかでこの世界を予知していたかのような気分になりました。
これは、あらすじをどこかで聞いていたということとは異なります。 作品の空気、描く人間、そういうものが私の望むものそのもの、いえ、見事にうれしい裏切りでそれ以上のものとしてたち現れたのです。 こんなことは初めてです。
さて、名実ともに三島文学の集大成とも言えるこの作品ですが、この長編にあってもその構成の緻密さにはもはや驚くまでもなく、まったく安心して最後までゆったりと読ませますねえ。 そして、物事の細部を深部をとらえる目の確かさ、筆の正確さは胸をすくようです。
それを恋とは知らずに、また知ろうとせずにいる自尊心の強い青年が、ようやくそれに気づくに至るまでのいきさつは、微に入り細に入り描写され、読み手の読み誤りようもなく、これ以上ないほど親切ですが、この点に関しては、きっと好みが分かれるところでしょう。
私は森鴎外の『舞姫』のことを思い出しました。 結ばれぬ恋を扱う小説として、両者は好対照です。 私が『舞姫』を読んで何よりも不可解だったのは、恋愛をしているはずなのに、まったく感情が表されないことでした。 ただことのなりゆきが連ねられて、当の本人の想いが伝わってこないので、読み終えて私がまず思ったのは「なんて勝手な男だ」ということでした。 でも、それはもしかしたら苦渋に満ちた決断だったのかもしれない、つらつらと言い訳がましい表現を書き連ねるのを潔しとしなかったからなのかもしれない、とは後で思ったのですが、いづれにせよ、それは作者のみぞ知るという領域のように思われました。
さて、『春の雪』です。 聡子という非常に魅力的な女性ですが、私は彼女が幼いころから清様をひとすじに思い続けてきた気持ちには共感できるのですが、やがて終末を迎えたときにきっぱりとそれを受け入れたのには違和感がありました。 私はもっとみれんたらたらだよな〜。
でも、この聡子はきっと作者の理想の女性なんだと思います。 また、それ以上に作者の美学の投影なんだと思います。 清様の最期もありありと「滅びの美学」を実践しています。
また、この作品は二人の悲恋物語かというと、そうではないでしょう。 二人の物語は表看板で、本当に作者が描きたかったものは何なのか。 まだわかりません。 『奔馬 豊饒の海(二)』を読んで考えよー。
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