昨日も書いた『子どもに伝えたい〈3つの力〉−生きる力を鍛える−』 を読んでいて、すごく勇気が出た一節を。 −−教師や親が子どもにとっての学びの重要な存在となる条件とは何か。(中略)自分 自身が新しい世界へ向かってあこがれのベクトルになっていることと、子どもにあこがれのベクトルが芽生えてきた時に、それに寄り添いそのベクトルを支えるということである。−−
うん。 私、これなら、「自信がある」って言える。 知識や、教育技術はほんと、自信ないけど、なんだか知らないけど、子どもたちを巻き込んじゃう、ひきつけちゃうっていうのは、大得意!
−−教育は、ほかの職種と比べて、とりわけ若さが生きる仕事である。若さが持つエネルギーは、身体全体から発せられる。そのエネルギーが子どもの身体を活性化させる。(中略)私は教える技術を非常に重視しているが、それでもあこがれのベクトルを失った教育技術のある教師よりも、多少、教育技術が未熟であったとしても、強烈なあこがれのベクトルを持っている教師のほうを評価する。−−
複数担任制のクラスとかで、ベテラン先生とかと並んで学活をしていると、 ベテランの先生の、「にじみ出るような余裕」や、 「生徒と見えない細い糸のようなものでつながっている」って感じがすごくうらやましくって、 私の「力いっぱい」、「いつも一生懸命!」 っていう泥臭さが、恥ずかしく、もどかしかったんだけど、 この一節を読んで、ほっとした。
いいんだよね。 せいいっぱい、一生懸命で。
うん。 今の私の年齢のいいところだよね。 ベテランの味は、ベテランになるまでにしっかり身につけていけばいいんだよね。
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