感想メモ

2005年01月15日(土) 異邦人  カミュ


カミュ 窪田啓作訳 新潮文庫 (1942)1954

STORY:
あることがきっかけで殺人を犯してしまった男。裁判にかけられることになったが、不利な状況から死刑を宣告されてしまい…。

感想(ネタバレあり):
 お正月の深夜に、読書が好きでない芸能人に名作を勧めるというような番組があった。映像でストーリーの断片を見せるという趣向で思わず見てしまったのだが、その中で紹介されていた1冊がこれである。

 私は読書が趣味であることは間違いないのだが、いわゆる名作と呼ばれるものはあまり読んだことがなかったりする。この作品は不条理文学の1つということで、名作の1冊なのだそうだ。何よりその映像ドラマのすばらしさに、思わず興味を持ち、読みたいと思ってしまった。幸い夫が持っていたので、それを借りて読むことにした。

 とても短い本なのであるが、内容的に最初の方はすごく苦痛で、とても眠くなってしまい、短い割に進むのが非常に遅かった。第2部からは裁判の展開になってくるので、多少リズムが出てくるかと思う。

 私はこういう作品はやはりあまり好きではなかった。というのは、主人公のムルソーの気持ちに入り込めないというか、感情がいまいち感じられない、毎日を単調に自分の欲望(とはいえ、普通の生理的な欲求くらいなもの)に忠実に生きているだけなので、感情移入のしようがないからだ。異常に客観的に毎日が綴られている文体で、一文一文は非常に短い。読みやすいかと思えば、そうでもなくて、感情移入ができないだけに、つらいものがあった。

 しかし、確かにムルソーに感情移入したり、彼の心情を思い切り理解はできないのだが、状況証拠だけで裁判が進み、死刑へと流されていく様子は、不条理に溢れているし、何とかしてやりたい気持ちになった。

 この作品を読んで思ったのは、自分の気持ちを表現するのがうまくて、また心から悔いていなくてもその様子を演じることができるものの方が、大衆の心をつかみ、陪審員の心象もよくなるだろうということで、それで罪が軽くなるか重くなるかの違いがあるとしたら、法律の制度というものはどうなのだろうということだ。

 日本にも陪審員制度が今後取り入れられるらしいが、この陪審員の制度というのは、まさに被告がどれだけ演技できるか、弁護士がどれだけ弁護できるかが重要になり、こうした不条理な判決が増えはしないかとちょっと思ってしまった。

 この作品の唯一の救いは、彼の友達たちが彼を弁護しようとしたこと。でも、それに対して大衆が全く耳を傾けないのもひどいことだ。結局世の中の人というのは、常識とか評判とか見かけとか…そういうものに流されて、正常な判断ができないことがありうるということであろう。

 短い作品の中で色々なことを考えさせることができるというのは、すばらしいことなのだと思う。最近の作品では作品を通して何かを考えるというのはあまりないし、こういう作品のように自分の感じ方によってどのようにでも取れたり、あとあとほかの人とこれはどういうことかということが論じられる作品というのがすごく減っているように思う。

 とはいえ、まさに私もこうした固そうな名作には拒否反応を起こしてしまう一人なので、人のことは言えないのであるが。


 < 過去  INDEX  未来 >


サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jpアソシエイト
ゆうまま [MAIL]