2003年05月31日(土) |
ゲド戦記V アースシーの風 ル=グウィン |
清水真砂子訳 岩波書店 (2001)2003
STORY: 夢の中で黄泉の国との境で死んだ妻に触れられたハンノキは、その日を境に眠るたびに黄泉の国の人々に呼ばれるという悪夢を見続けていた。ロークで元大賢人のゲドに会うように言われたハンノキは、ゴントで隠居生活を送るゲドの元へ向かう。その頃、ゲドの妻となったテナーは王子レバンネンに乞われて、娘テハヌーとともにハブナーに滞在していた。ハブナーはカルガドから王女を無理矢理押し付けられ、困っていたのである。ゲドと会ったハンノキはテハヌーたちの元へ行くよう言われ、ハブナーへと向かう。同じ頃、竜たちが再び人間たちを脅かし始めて・・・。
感想: 「ゲド戦記」は元々3部作で、3作目からだいぶ経ったときにゲド戦記最終巻として4作目が出た。そして、なぜかそれからやはり10年くらい経っていると思うのだが、このたび本当の最終巻となるらしい5作目が出た。実は私はこの「ゲド戦記」を卒論に選んだ。ちょうど4作目が出て完結ということだったので取り上げたのだけど。なぜか5作目が出ていた・・・。
ということで、これは5作目も読まなくては・・・と思った次第なのだが、実際、卒論で取り上げてからもう10年くらい経っていて、ストーリーをすっかり忘れてしまっていた。しかし、最初から4作読む暇もないので、結局自分の卒論を少し読み返して、この世界を思い出し、ストーリーも確認した。
しかし、この5巻・・・一体何が言いたいんだろうと・・・。卒論をやったときはもちろんいっぱい考えたし、何度も読み返したし、他の参考資料も読んだ。でも、今回は4巻までのストーリーもうろ覚えだし、おまけに早く読まなくてはというプレッシャーもかかっていたので(図書館で借りているため)どうもそこまで深くつきつめては考えられなかった。
それにしてもこれが小学校6年生以上向けなわけだよね。これは本当のことを言って子供向けの話ではないような気がする。やはり昔のファンタジーの方が現代の「ハリー・ポッター」よりも深い意味があるというか・・・。もちろん「ハリー・ポッター」も私は好きだ。「ハリー・ポッター」にはファンタジーの中にエンタテインメントがちりばめられている。でも、「ゲド戦記」にはそういうエンタテインメントの要素はほとんどないといっていい。アースシーという架空の世界でも、その世界観ははっきりしている。(「ハリー・ポッター」はこうした世界がなく、現在が舞台で、巻が進むに連れとってつけたように世界が広がっている感もある)また魔法というのも「ゲド戦記」では世の中の均衡を乱すからあまり使わないほうがいい存在。それに反して、「ハリー・ポッター」では友達同士でも魔法をかけあったりしている。同じ魔法の学校でも全然趣が違う。「ハリー・ポッター」はイギリスなのだけれど、「ゲド戦記」はアメリカ。その違いもあるのかとも思うけれど、それは関係ないか。
この5巻目では、竜と人間の関係とか、テハヌーが一体どこから来た何者なのかということが描かれている。ストーリー的に何か大きなことが起こるというわけでもなくて、本当に地味な話だなーと思う。4作目までで終わりにしてもよかったような気も。ただ確かにテハヌーが何者かという問題は残っていたと思うけれど。つまりは結局5作目はテハヌーとレバンネンの問題を取り上げた巻ともいえて、ゲドも出てくるけれど、あまり活躍しないし、すでに世代は若者たちに移っているのだなーという印象はぬぐえないような・・・。
ともかく難しかった。外伝というのがこの本の前に出ていたのだそうで、そちらもこの先翻訳されるそう。アースシーの世界が好きな人は必読かも・・・。
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