楓蔦黄屋
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台所がだいぶ居心地よくなってきたぞ。よしよし。
食器は使わないものや使いづらいものを 少しだけ処分したらかなり洗い物が気楽になった。
10年くらい前に、スーパーで ご自由にお持ちくださいと置いてあった 春のパンまつり皿2枚(当てたわけですらない)はまだ現役大活躍だし、 よく使う取り皿は、ガストで2000円注文するたびに お皿がもらえるキャンペーン中に4枚連続でもらってたもの。
シンプルで物のいい食器を少しずつ集めることがいわゆる 丁寧な暮らし、だと思っていたが、 自分の場合どうもそうでもないらしいと気づいた。 使わないものがなければそれでよいみたいだ。 使わないものがない=だいたい何があるか把握できている、という状態が最適らしい。
大事なのは、何をよく買うかを常に見極めてその居場所を作ること。
これが簡単なようで難しい。 一緒に住んでいる人がいるともっと難しい。 やっと、やっとわかってきた。共に暮らし始めて20年。
あとはシンクに新しい棚を設置することと、シンク戸棚を整理するだけになってきた。 パッと見た目には充分きれいだ。以前とは比べ物にならない。
居心地よく作り上げた部屋は、なんだかじーっと見てしまうんだが、 何でだろうと考えているうちに、それが「静寂」であるからだということに気づく。
台所にあるものたちすべてが自分の場所にいると、不思議なことにとても静かなのだ。 散らかっていても無音は無音なんだが、それは「静寂」ではない。 把握しきれない情報が積み重なって、常にざわざわしている。 あるべきところにおさまっているというのは、静かだ。 そして作業のすべてが滑らかに回る。
居心地がよくなっていくのが楽しくて、 「炊事をがんばっている」という気が全然しない。
少し前まで、台所に立つのがイヤでイヤで仕方なかった。 台所に立つ楽しさを知れて本当に嬉しい。
楓蔦きなり
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