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2022年03月15日(火) 丁卯・カムカムエヴリバディ

母方の祖父は結婚を3度したらしい。
祖母も2度。
どちらも最後の結婚相手がお互い。

相手が子どもを産めないから、とか、相手が身体が弱いから、とか
相手が事故で足を失って働けなくなったから、とか
そういう、自由意志とはほど遠い理由で離縁させられたらしい。

そして祖父は戦争でどこかの島に行った。
毒があるから食べちゃダメな芋を
空腹に耐えかねて食べた仲間が目の前でばたばた死んでいったらしい。

祖父は帰国して、それから末に母が産まれた。

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父方の祖母は想い人と添い遂げられなかった。
子どもが8人産まれ、そして2人は子どものうちに亡くなった。
そして末に父が生まれた。

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母が受験を許されたのは進学高校1校だけで
そこに受からなかったために就職を余儀なくされた。
受かっていたら母は地元を出なかったかも知れない。

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それからまもなく祖父が事故で亡くなったとき、母は17歳。
そこから東京へ行き、夜間高校で父と出会った。

一度つきあい、別れ、そしてまたつきあった。

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父が転勤になり、東京を離れて田舎に家を建てた。
すでに子どもが二人いたが、こんなにのんびりしたところなら
もう一人ぐらいいてもいいと、そんなわけで私が生まれた。

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「カムカムエヴリバディ」でひなたと桃が
「お母ちゃんが(死のうとした)お父ちゃんを止めてなかったらと思うと
 (自分たちは産まれてなかったのだから)ぞっとする」
と言った気持ちがよくわかる。

父が転勤にならなければ私は生まれていないからだ。

小学生のときにその話を聞かされたときは本気で怖かった。
産まれてきたということは本当にそれだけで奇跡だと実感し、
そして死というものが改めて怖くなった。

のちに祖父母の話をきいて、もっとビックリしたものだ。
「あっっっっっぶねええええええ!」というのが第一声だった。
祖父母のときから本当に綱渡りで自分までようやく繋がっているのだった。
自分の意志ではないところで起きてしまった出来事の積み重ねでいま私という子孫が生きている。

曾祖父母のことを知ったらきっともっと
「あっっっっっっっっっっっっぶねええええええええええ!!」と思うのだろう。
残念ながら私は母方の曾祖母のことをちょっぴりしか知らない。

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「おちょやん」で千代が、流しに流れた米粒を食えと意地悪のつもりで言った女中頭の言葉に
「ええの!?」と大喜びで食べた、というエピソードがある。
私はそれを観たとき「うちのママじゃん」と思った。
彼女はごはんを炊いたあとの圧力釜を水とたわしでこすったあと、そこに残った米粒を食べるからだ。
「ダメなのよーお米だけは捨てられないのよー」と。
子どもとしては別にとくにそれをどうとも思わなかったが、
「そのたわし絶対きれいじゃないよね」と思ってはいたので真似はしなかった。

真似はしなかったがそういう母をどこか誇りに思ってはいる。
母なら千代と同じように大喜びで食べるか、意地悪に対抗して素知らぬ顔で食べるだろう。

当時の近所のおばさんが一人、その行為にどん引きしていたと聞いて
私はもともと嫌いだったそのおばさんのことを「やっぱりたいしたヤツじゃねえな」と再評価した。

母は
親が死んだり大学に行けなかったりいろいろといちいち不遇だが
やけに明るい…というか妙なおかしさがあって、そしてやたらタフだ。
父が働くのが嫌い&浪費が好きなため(この性質は私にしっかり受け継がれている)
わりとけっこうな困窮家庭であったはずなのになぜか持ち家を3回買ったぐらいタフだ。
しかも数年前にローンを払い終えている。
「よく払い終えられたなー」と父と一緒によく感動している。

最近は電話するたびに
「給料日に給与支払口座からローン引き落とし口座にお金を移動させるために
 ATMを走り回ってたけどその必要がなくなってホントにラクよ〜」
と言う。

私は自分の家がけっこうな困窮家庭であることを長年自覚せずに育った。
大学金の奨学金申請の際、「両親の収入」の数字が
記入見本よりもはるかに少なく、
「あ、これなら奨学金の申請絶対通るわ」と安堵したことを覚えている。

要するに借金をおっかぶされたわけであるがその自覚もなかった。
「ごめんね不甲斐ない親で」と謝られたが別にとくに何とも思わなかった。
それより他に謝ってほしいことはごまんとあるけどまあそれに関しても特に期待してなかったからというのもある。

その借金も今はもうない。
自分で完済したのだ。それもけっこうな誇りだ、というのを完済してから初めて知った。

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なんか話がどんどん逸れたが。

そういうわけで「人に歴史あり」とか「人から人へ繋ぐ、継いでいく」という概念が
ものすごく好きなので今の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が大好きだ、ということを言いたかったわけです。

自分に繋がる人のことを知ったり、想いを馳せたりして
嬉しく感じるのは幸せなことだなと思ったりする。





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