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2012年09月09日(日) 【マジメな話していい?】安野光雅


※今回ネタじゃなくてマジメな話です。読んでもひとつも面白いことないので即ターンして帰れ!

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Eテレ「日曜美術館」で、「雲中一雁の旅 画家・安野光雅」という番組をやっていたので横目で見てみたわけですが。

小生、恥ずかしながら安野光雅という画家を知りませんでした。
まあ無知はいつものことです。無知は罪だとCoccoは言います。アイアム罪人です。
どうやらなんかいろいろすごい人らしいんですがそこらへんはさして興味ないんでそれはおいといて。

テレビではかわいらしいだまし絵「旅の絵本」という大変にすてきな世界の風景画が紹介されていました。
特に風景画。構図はどれも鳥瞰で、建物と木々と、人と、それから遊びのようにその地にちなんだ有名人が隠れていたりしていました。
「ウォーリーをさがせ!」の、あんなには人がいっぱいいない感じ、というと伝わりやすいかもしれないですね。頭悪そうな例えですけどね。芸術わかってねーなお前、みたいなね。

早い話が、見入ったんですよその絵に。絵本買っていつまでも眺めてたいな、っていう気分になりました。まあ実際買ったらそういつまでも眺めてはないと思うんですが。美術館に足を運んで眺めていたいな、という気持ちにもなりました。津和野ってどこだよ。島根かよ!遠いよ!

もっと早い話が、好きになったんですねこの人の絵が。話を聞いてると、どうも実際にいろいろ世界を旅したらしい。
「(駅のある)町には匂いがある。道→森→山→森→道と歩くと、また駅(町)の匂いがしてくる。旅にはそういう自然のリズムがある」
とかいう話を聞くと、あー、爺ちゃんっていいよなー、爺ちゃんのする話っていいよなーと思いますね。自分自身の祖父母とは絡む機会があまりなかったので余計に。

というわけでスッカリこの人の絵が好きになったんですが。

なぜ好きか考えてみたんですが、アレですね、まあ造形の好みもありますが、
一番の理由は「開いている」という点でしょう。
何に対してって俺に対して。開いてる。閉じてない。

見る側がいなくても完成してるなこれ、って感じの絵にたまに会います。
緻密でノスタルジックでいかにも意味ありげな絵にほど、かえってひとりぼっちにされることが多い。
つけいる隙がないというか、見てる俺が要らない。絵が俺を必要としてない。

安野光雅の絵は、見る人全部を受け入れる感じで開いていました。
見る人を見てくれる絵。こちらを必要としてくれている絵。
こちらに自由に見させてくれる絵。見る人の数だけ完成する絵。
だから好きなんだと思います。そういうものが好きなんだと思います。
絵に限らず、漫画でも小説でも映画でも舞台でも。

だから嫌いなものも山ほどあるけどな。



楓蔦きなり

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