私は小説を書いてみようと思って、しきりに勉強しています。 見えるもの、見えるような姿を外に現わしたものの外は信じられない。 信じたものは形が見える所まで、文章の力で表現出来ないはずはないと思った。 例えば陶器を語るなら、その美と同じ高度な言葉が陶器を眺める様に、 活字の表テに眺められるはずです (美は人を沈黙させると言いますが、それは感動が人を沈黙させるので) 美は、知らなければ知ることを強要される。 詰り、そういう美を捕えて、言葉を発見することが知るという事であります。 人間は若しかすると一つの波紋を描きながら、その波に乗って、 自分の描いた波紋の上をだれも泳いで逝く様に見えます。 精神自体の性質も恐らくそんなものらしいのだが、 まして実生活になると蛇は蛇のようにしか歩かない。 ここでは親の心配も身に着けた教養も、 見渡したところ、生まれながらのものを殺す助けにしかなりません。
★眼の哲学/青山二郎★
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