「君にとっては何もかもがジョークなんだな」と彼は言った。 「そんなことないわ。ただ、口に出すと何もかもジョークになっちゃうのよ」
ローリー・ムーアの第二短編集『ライク・ライフ』に収められた 「狩猟をするユダヤ人」のなかの一節である。 ある意味でこれは、この短編集における典型的な一節ともいえそうだし、 またある意味では逆にまったく例外的な一節だともいえる。 なぜ典型的かというと、この本に出てくる人々はみな、 自分の言葉、自分の行為、自分の肉体、 自分の何もかもに対してつねにチグハグさを感じているからだ。 自分ではそんなつもりはないのに、 すべてがジョークとなって出てきてしまう。彼らはみな、 釣り道具を使って野球をすることを強いられた人物のようであり、 扇風機やうちわで寒さをしのごうとしている人物のようなのだ。
にもかかわらず、なぜこの一説が例外的かというと、 「口に出すと何もかもジョークになっちゃうのよ」という、 ほとんど悲壮感さえ漂う、自分の傷をさらけ出すような言い方が、 きわめて非ローリー・ムーア的だと思うからである。 あえていえば、この短編集全体が、この一言を言わないための── あるいはこの一言をついに言ってしまう権利を得るための── 涙ぐましい、時にほとんど痛ましい努力であるように思える。 傷をさらけ出すことではなく、さらけ出さないことが痛ましいのだ。
★傷をさらけ出さないことの痛ましさ/柴田元幸★
|