(まだお酒の飲めなかった、20歳頃の高田さん)
それでも、京都での生活は楽しかった。 たとえば、なにがしかのバイト代が入ると、そのお金がなくなるまで うだうだして過ごした。 昼ごろにもぞもぞと起き出し、まず三条河原町の喫茶店”六旺社”に行って 起き抜けのコーヒーを一杯飲み、本屋や洋服屋を冷やかしたあと、 ”さくら食堂”で飯を食い(その当時、さくら食堂は学生向きの安くてまずい飯を 出していた)、三条堺町の”イノダ”に行ってまたコーヒーを飲んだ。 コーヒー一杯がたしか九十円くらいの時代であった。 夕方になると、よく中川五郎と待ち合わせて、”マップ”という喫茶店や、 ”進々堂”という茶店に寄り、”十字屋”でレコードを漁り、同志社大学の学食で 夕飯を食い、その帰りに喫茶店”わびすけ”に顔を出し、そして最後にまた 六旺社でコーヒーを飲んだ。 ひとり部屋に帰れば帰ったで、ぼそぼそと詩を書いたりレコードを聞いたり 本を読んだりして、明るくなったころにようやく眠りについた。
★バーボン・ストリート・ブルース/高田渡★
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