「ときどき私、先生のことばを思い出すの」 ちいさなてのひらを重ねあわせてペチカはいった。 「冬のシーズンが終わるたび、先生がいっていたことばを。この冬!って」 おどろいたジュゼッペの顔にペチカは笑いかける。 「いつだって大きな声だったわ。 この冬、氷の上で私たちが身をもって学んだ、三つの大切なことはなにか、って」 「ああ」 とジュゼッペのタタンはあいまいに相づちを打つ。 「そのいち。氷の上の私たちは、いつかきっと転ぶ」 ペチカはつづけた。 「そのに。転ぶまではひたすら懸命に前へ前へとすべる」 「そうだ、ブレーキなんてなしにね」 ジュゼッペがうなづいてみせると、ペチカは少し間をおいてからいう。 「そのさん。 転ぶとき、転ぶ瞬間には、自分にとって、いちばん大事なひとのことを思う。 そのひとの名前を呼ぶ。そうすれば転んでも大けがはしない。 そうして転ぶことはけしてむだなことじゃない」
★トリツカレ男/いしいしんじ★
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