だけども、また逆に、ピカソぐらいわかりいい芸術はないと、ぼくは思いますよ。 あんなにピンピンと、からだにぶつかってくれる、かわいい芸術はない。 あのよさっていうのは、かれ自身のよさじゃないんだ。 ピカソ個人とピカソとは、ちがうんだからね。 ピカソの偉大さというのは、二十世紀のひとがピカソをぐっと押しあげてるすごみですよ、 ピカソ個人の凄みじゃなくってね。 歌舞伎でいうと、名門の子が名優になっちまう、あのすべてゆるされているという感じだな。
こどもの絵とピカソの絵と、どうちがうかというと、こどもの自由は許された自由で、 ピカソのは獲得した自由だと、ぼくはいうんです。 しかし、ピカソもまたゆるされてるんだな。 青の時代からキュービズムのへんまでは、獲得した自由だったが、 それから以後は、だんだんゆるされた自由になってきてる。 芸術というのは、獲得した自由と、ゆるされた自由とが、渾然とかみあったものが、 ほんとうの芸術だと思うんだ。 しょっちゅういためつけられたゴッホが、最後までゆるされなかったということは、 かれの悲劇ですよ。 しかし、全然ゆるされないで、最後まで自由を獲得しようとしたすごみが、 ゴッホにはあるわけだ。
★徳川夢声の問答有用/岡本太郎★
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