宿題

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2006年01月18日(水) 押井守インタビュー/押井守×叶精二
押井 「だから、今回は広島とかアヌシー(国際アニメーション・フェスティバル)
じゃなくて、商業ベースで出したという所が面白いわけですよ。
ぼくは、広島やアヌシーの世界は大嫌いですね。やってる人間や作品が嫌いなんじゃない。
世界観というか空気がね、アニメーションをどこかで差別化して成立している。
ぼくらは「ペイして何ぼ」の世界でずっとやって来たから、
ああいう世界は違うと思わざるを得ない。漫画と実写が違うように、
たまたまアニメというジャンル分けで同じ俎上に乗せられているけど、
全然違うものですよ。
たとえば高畑(勲)さんが評価している(ユーリー・)ノルシュテイン。
あのオヤジが撮った作品自体は嫌いじゃないけれど、本人は大嫌いです。
だって、彼が何年もかかって撮影台を占領している間、資金もたくさんかかるわけだし、
多くのアニメーターが撮れずに泣いていたわけでしょう。
出来たものが良ければそれでいいかも知れないけれど、周囲に遺恨は残る。
それを抜きにして本人は語れないでしょう。
そういう共産圏の特殊な環境で成り立っている作品と、
自分たちの作品が同じものであるわけがない。
ぼくたちだって、作品を作れば誰かの機会を奪うことになるわけで、その意味では同じだけれど、
そうした犠牲に無頓着でやりたいように作り続けるという無頓着な神経は信じられない。
だからノルシュテイン本人と話したいとは思わない。
(アンドレイ・)タルコフスキーについてもそうです。
作品は好きだけど、本人は嫌い。やっていることはノルシュテインと同じですよ。
実写だから亡命まで追い込まれたけれど、
ノルシュテインはアニメーションだからそこまで至らなかっただけだと思う」

―ある意味無制限に作家性を追求した作品と、
一定の時間的資金的制限の中で自分たちの作品とは根本的に違うという認識ですね。
すると、押井さん御自身のポジションというのはどういうものとお考えですか。

押井 「ぼくはあくまで商業作家です。エンタテイナー。
依頼された商品という枠の中でいいものを作ろうと努力している。
国家とか宗教のバックで撮りたいとは毛頭思わない。商品として成立する予算だから、
隙を見ていいものを作ろうという意欲も生まれるんであってさ、
税金とか献金でやりたい映画が出来る筈がない」

―ただ、押井さんの作品も特に海外ではアートとしての評価もありますよね。
商品として作られたものという前提抜きに作家性のみが強調されて理解されている印象も受けますが。

押井 「それについては、矛盾も葛藤もありますよ。
ただぼく自身は、今のポジションが大変気に入っているんです。
だって、それが映画を今ある形にしたんだもの。
観客がいて、お金を出す人がいて、作り手がいるというね」


★押井守インタビュー/押井守×叶精二★

マリ |MAIL






















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