川本 モスクワのスタジオに行ったら、どなたかが「我々の中に、 とても不思議な人がいましてね。夜にならないと仕事をしないのです」と言う。 それでユーリー・ノルシュテインの名前を知ったのです(笑)。 またしばらくして、一九八五年でしたか、ブルガリアで審査員を頼まれた。 同じ審査員にユーリー・ノルシュテインの名前があって、もう、これは行かなきゃと。
ユーリー その帰りに私のスタジオに寄られたんですね。
川本 ええ、ユーラさんのスタジオで、すでに三年間も撮り続けている「外套」 を見せてもらったんです。もう僕はびっくり、こんなすごい作品は見たことがない、 と思いました。それが二十年前ですよ。まだ完成していない。
ユーリー 覚えていらっしゃいますか?スタジオをご覧になった時、 「おかしくなられませんか?」と尋ねられましたね。 「毎日、おかしくなっています」そう答えました(笑)。 あのとき撮っていただいた写真が、今もスタジオに飾ってあります。
川本 見わたすかぎり、アニメーションの小さな材料が並んでいる。 それをピンセットで持ってきて、置いて、それでまた戻して、また別のところへ持って行く。 アニメーションで人形を動かすのもたいへんですが、ユーラさんのやっていることは、 「諦めない」の最高の形のような気がしましたよ。
ユーリー そのピンセットは、いまだに私のコンピューターです(笑)。
★共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン★
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