忘れられない光景がある。 一九八二年度テレビ大賞の授賞式の大会場で、 大賞の光栄に俗した「淋しいのはお前だけじゃない」の出演者たちが、 受賞のお礼返しにと、西田敏行、梅沢富美男、泉ピン子以下十二名うち揃って、 目も彩な「隅田川ぞめき」の舞踊を披露した時のことだ。 予定外のとび入りアトラクションに会場は湧きに湧いた。 その中で、ひときわ目立つ声援を送っている人が目にとまった。 その人は、ステージのかぶりつきまで押し出してきて、 人一倍大きな手拍子を打ち、踊る役者たちに向って、 「イヨッ日本一!」「待ってマシタ!」等の掛け声をだれ憚るころなく浴びせかけている。 「どこのオッサンやろ?」と近づいて見ると、誰あろう、NHKの川口幹夫氏 その人ではないか。 僕は、感動してしまった。 当時、川口さんはNHKの専務理事だった筈だ。そんな偉い人が、 己が立場も身分も省みずに、ヤンヤとはしゃいでくれている。 「面白いドラマだった」と心から喜んでくれている。 なにが、川口さんをあんなにも喜ばせているのか? 狭い利害関係だけでは判断し難いことだった。 TBSのドラマがテレビ大賞を獲ったからといって、 NHKの川口さんの得になることは何もない。 それどころか、むしろひとつの賞を競い合ったライバルではないか。 そのドラマに、心底から拍手を送ってくれる、この人は…。 「ここにもひとり、本当にテレビドラマを愛している人がいるのだ」と、 そう思うよりほかに僕には理解の仕様がなかった。 受賞を喜び舞い踊る役者たちの姿よりも、僕は、そんな連中に「日本一!」 と声を掛けてくれる川口さんの姿に、不覚の涙を流してしまった。
告白すれば、この作品は、生みの親である作者にとっては、近所(業界)の 評判も悪い、はみだしッ子の厄介者だった。 理由は単純で、成績(視聴率)が合格点に達しきれなかったからである。 「もう(高橋)一郎クンとは遊ばせませんッ」と言ってまわる恐いオバサンも近所にはいた。 そんな悪ガキを「坊やにもイイトコあるョ」と、頭ヨシヨシしてくれたのが、 丸谷才一さんであり、井上ひさしさんであり、小田島雄志さんであり、 山田太一さんといった当代一流のかたがただった。 おかげで、悪ガキは村から追放されずに済んだ。 のみならず、ダメ親のために、第一回向田邦子賞やギャラクシー賞までもらてきてくれて、 アララという間にとんでもない孝行息子に変身してしまった。 放送評論家の佐怒賀三夫氏は、かつて、僕のこれらの作品群を 「テレビドラマの現状についての対抗陳述だ」と評されたことがあるが、 それは、結果的には当たっているかもしれない。
僕はまだ、テレビ大衆が、フィクショナルなものを全面拒絶しているとは断言したくない。 そんなうわ言を言っているせいかどうか、僕のドラマは、ついつい、 現状のテレビ文化に対して「フィクション復興を」陳述しつづけるという立場に さらされてしまう。 似非リアリズム本流の中で、こんなに淋しく、心細い立場もないが、 独りで支えきれなくなったら、そのつどに思い出せばいいのだろう。 かの日の、川口さんの「待ってマシタ!」の掛け声を、高橋一郎さんの頼もしい笑顔を、 丸谷才一さんの励ましを──そして、自らに言い聞かせる台詞はただ一言、 「淋しいのは……」
★淋しいのはおまえだけじゃない(あとがき全文)/市川森一★
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