立川 たとえば文学に対する欲とか、作家として名をなすというのは、 あれ貧乏人だからでしょう。 そうでもないのかしら。なんか違うのかしら。 事業欲と同じように何かあるのかね。芸術というのは何なんですかね。 芸術がいいというのは描写がいいとか、 人間を出せて奥が深いなんて、何が奥が深いといいんですかね。 いうなればその人の趣味だ。
色川 たとえば映画が躍進してきたころ、映画は下だと思っていたのね。 上下というのは変だけどね。 だから、一番新しいし、一番下だと思ってたから、何からでもかすめ取れたのね。 文学にもコンプレックス、芝居にもコンプレックス。 だけど、みんなともかく取れた。みんな恥も外聞もなく太ってきたわけでしょう。 そのうちに下じゃなくなっちゃうわけね。そうすると、今度次のやつが、 一番下がそういうふうに取れるやつが次の時代にのり代わってくるわけ。 だからいまでいえば、劇画はどっからだって取れるわけね。 だからある意味では、たとえば小説書きなら、小説書きが、 一番下の意識を持たないといけないんだね。
立川 あー、そうか。
色川 だから、芸術的意欲といっても、ある上の意識のなかでやってると、 本人は芸術という大きなものをつくってるつもりでも、 もうそのときはエネルギーが不足してるのね。 だから、落語もいっそ思い切って、アングラ無軌道から出発し直したらどうかと思う。 それで、今までの既成じゃないものをどんどん取っていく。 古典落語だってあぐらをかいているようでは、エネルギーが不足しちゃうんだよ。
立川 それでなんだね。こっちは三十年あそこに惚れてたもんだからね。
★談志楽屋噺/立川談志×色川武大★
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