病室に入ると、女房の横に小さなベッドがある。 生まれたてなのに、大きな目を開けてぼくの顔にチラと視線を送るではないか──。 へえ、赤ん坊というのはこういうもんなのか、ムクムクと感動がこみ上げてきたとき、 赤ん坊に向かって、「よおピコタン」と声をかけていた。 なぜピコタンなのか分からないが、間違いなくピコタンという感じなのである。 以来、彼女はいまでもピコタンとかピコとか、でぐしーと呼ばれている。 でぐしーも別に意味はない。ただ平仮名の、でぐしーなのだ。
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三番目はもうカミさんも慣れたもの、陣痛が始まってから自分でクルマを運転して 朝早く二女と同じ病院へ行った。ぼくはそれを見送ってから仕事へ──。 夜遅くなって家へ帰ると、応接間に明かりが点いていてドアを開けるとおふくろが一人で座っていた。 あ、生まれたな、とぼくにはピンときたが、なぜかぼくの家庭では感情をモロに出さない。 喜怒哀楽を表すのに、お互いに照れたり恥ずかしがったりして、妙によそよそしくなる。 「忙しかったのね」 とおふくろはいう。 「うん」 「あさってから東京オリンピックだから、街は賑やかでしょう」 「まあね」 どうでもいいことを話し合っていて、ふと、おふくろは、 「あ、そうそう生まれたよ」 「あ、そう」 ぼくも無理して無関心を装っている。本当は男か女か早く聞きたい。 しかし、おふくろはまたひとしきり、どうでもいいことを話したあと、 「もう遅いから寝なくちゃね」 と立ち上がってドアのほうへ行きながらポツリと、 「男の子だったわよ」 「あ、そう」 愛想なく答え、一人になってから「ヤッタ!」と跳び上がった。 もちろん男の子だった女の子だって同じことだが、二人女児が続いたので 三人目の男児は感慨ひとしお。
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ぼくは子供たちに「父上」と呼ばせたかったが、 人前で「チチウエーッ」と呼ばれたときは、さすがに肝をつぶした。 考えてみれば、いや考えなくても「父上」と呼ばれるにふさわしい父親でもあるまい。 平凡にパパになってしまった。
★七人のネコとトロンボーン/谷啓★
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