「もっとめちゃくちゃすればいいんです」
筒井 僕は最近、自分の死のことを考えるんです。普通、年をとってきたらだんだん耄碌して、訳がわかんないうちに死ぬでしょ。それは、ちょっと嫌だなと思って。やっぱり、せっかく生きてきたんだから死ぬ苦痛もちゃんと味わってみたい。あと、一番苦しいのは焼け死ぬってやつだけど、一瞬でいいから、どんな感じがするのかを体験してみたい。本当に「心頭滅却すれば火もまた涼し」なのかと(笑)。ここではっきり宣言しておくと、僕はもうあんまり小説を書きません。で、収入も少なくなっていって、忘れ去られて死ぬというのもいいかなと思っている。結局、死を考えると、どうしてもロマンチックになっちゃうんだよ。でも、死を怖がっている間は生きているんだし、死んじまえば怖がることないわけだし、やっぱり死そのものは記号にすぎないと思うんだよね。植物人間になって、それをもう一人の自分が2スタかどこかでモニターで見ることができたら、それもいいんだけどね。
中原 僕も、死んだら楽かなとたまに思ってますよ。
町田 中原さんは、まだ死は遠いですよ。
筒井 実は僕が怯えているのもそれでさ。両親とか親戚を見てると、ずいぶん長生きしそうなんだよね。
中原 そんな不愉快そうな顔して言わなくてもいいじゃないですか!
筒井 江戸川乱歩みたいに、小説を書かなくなって延々と生きているのも面白いなとは思うんだけれどさ。とにかく、今のようにろくに破壊もできないで小説を書き続けているのは、もう嫌だね。もうやるだけやったもん。今度出すつもりの短編集だって、あのうち半分くらいしか気のきいた破壊ができなかったものね。あなた方にはわからないでしょうけれども、若い頃に昔の人の書いた小説作法とかを読んだり、何だかんだで技術が身についてしまったから、いくらめちゃくちゃ書こうとしても辻褄があっちゃうんだよね。ちゃーんと首尾が整っちゃうんだよ。嫌ですね。
中原 いやいや、そんなことないですよ。思った通りに壊れない無様さも、やっぱりある種の破壊じゃないですかね。
筒井 無様さ……。
中原 ひどく失礼な言い方ですけどね。はは。
筒井 中原さんは壊し方の理想というのがあるわけ?
中原 いろいろできるじゃないですか、他人の手を借りるとか。最後の数行を知らない人に書いてもらうとか。筒井さんも、もっと下らないものを書きましょうよ!赤ちゃん言葉でしか書かないとか。
筒井 それ、俺書いたよ。『バブリング創世記』で。でも本当に壊し切るまでは決断がつかないんだよね。だからね、これは悪口になっちゃうんだけど、島田雅彦の例の<無限カノン>三部作。あれは確かに面白くて、夢中になって読んだよ。皇室を書くという勇気も買う。だけど、読んだ後でよく考えてみたら、いや、よく考えなくてもそうなんだけど、あれ、ただの封建的ロマンなんだよね。だから面白いんだ。こんなこと言うと悪いし、あれだけの力業ができる作家は他にあまりいないんだけど、自分があれを書くことは否定したいんだよね。だから今、小説はいったんぶっ壊さなきゃいかんと思う。もし小説を本当にぶっ壊したとして、じゃあわれわれに責任があるかというと、ないと思うんだ。文化的ミームが必ず残るわけでさ。僕はそれを信頼してるんだよ。だから責任持たなくていいやって、そう思ってたんだな。
中原 いやいやいや。
筒井 何だよ。
中原 何か言わなきゃと思ったんですが、気のきいたことを思いつかなくて。
町田 めちゃくちゃをやればいいというのではないですよね。お話をうかがって思うのは、小説的感興というのがあって、このドラッグってこんな感じだよね、とかアルコール飲んだらこんな感じになるよねとか、この音楽聴いたらこういう風になるよね、みたいな、「だいたいこんな感じ」という小説の感興として事前に分かりすぎていて、自動的に過ぎるなあ、ということで、それは身体にも頭にもあって、そんな小説と想像力との関係を壊したほうがいいのかもしれないと思いました。
筒井 そうですよね。小説なんていくらぶっ壊そうとしたって簡単には壊れないんだから、もっとめちゃくちゃすればいいんです。
中原 でもはっきり言って、僕は小説をぶっ壊そうと思ったことがなくて、単に常識を知らないだけなんですけどね。
筒井 そんなことないって。
中原 いやいやいやいや。
筒井 あなたの小説を読んで、僕や町田君があれだけ笑うわけだから。
中原 せめて笑わせないと、嫌われちゃうじゃないですか。
筒井 おっ。俺と町田君を笑わせておいて「せめて」なんて言っているぞ。
中原 いやいやいや。
町田 文学面している小説でも、変な日本語がいっぱいあるんですよね。こんなの何でチェックしないんだよっていうのが結構ある。でも中原さんの小説を読むと、ぶっ壊れているように見えるけど、日本語のもとのところがちゃんとしてるから、笑えるんだと思うんですけどね。
中原 それは編集者が一語一句疑って、必要以上にチェックしてるからじゃないですか。
筒井 そんなことないよ。あなた、「PHP」を書き写して小説を書いたって言ったけど、才能があれば、既成の小説のおかしなところばっかりを探し出してきても、それだけでパロディ小説ができちゃうもんね。俺も「時代小説」というのを書いたけど。
町田 ああ、あの作品、最高です。忘れられませんよ。
筒井 あれは成功したね。この前、白石加代子が朗読してくれて、彼女の朗読は批判的なところがあるからどうなることか本当に不安だったんだけど、みんな笑いころげてくれて、安心した。くだらない時代小説を山ほど読んだおかげです。
中原 そういえば、引っ越しで忙しかったんで、「新潮」で書いた小説のフレーズを「文学界」に使いまわしたら、編集者に唖然とされましたけど。どうせ同じようなことしか書けないんだから、いいじゃないですか。ねえ。
筒井 わははは、自分盗作か。
町田 どうも、同じようなことしかできない、というのがポイントですね。要するに、本当の意味での楽器の技術がある人は、いろいろな演奏ができると思うんです。ただ、楽器ができないから、じゃあサンプラーでやろうかと言った時、音色をいろいろ変えたりとか、エフェクターを使ったりとか、いろいろ工夫せざるをえない。
筒井 ああ、そうか。
町田 デヴィッド・ボウイという歌手がいますが、僕は全然音楽の才能がない人だと思っていて、ただ、手を替え品を替え、工夫する才能があるんですね。この前、武道館というところに初めて行って、デヴィッド・ボウイのコンサート見たときにはなにか、思想のないファシズムみたいで面白かった。で、中原さんの小説もそれに近いようなところがあって。
中原 なははははは。
筒井 中原さん。デヴィッド・ボウイは嫌い?
中原 大っ嫌いなんですけれども。なはは。この間も、『ジギー・スターダスト』のフィルム上演権が切れるというんで、最終上映会にいって、音楽は本当に嫌いなんだけれど、衣装の早変わりは良かったですよ。
町田 そうですね。なにもできないからこそ、いろいろなことやる。鳩、出したり。
筒井 だから、中原昌也に限っては自分盗作も許す、ということでいいじゃないですか。それは文学的主張になるよ。漫画家のサトウサンペイが三箇所くらいの連載で最後の一コマだけが違って後は同じ、というのをやって、問題になったんだよね。彼の言い分は覚えてないけど、最後の一コマだけ変えて三作書くということこそ、彼にとっては重要なアイデアだったと思うんだよね。
中原 そうですね。絶対そうですよ。同じ文章だって違う気持ちで見れば違うものに読めるわけだし。マンネリだと思うのは、読者の方が悪い。冷水で顔洗ってから読めと言いたい。なははは。
筒井 そうなんだよ。それでいいんだよ。いいのかな?いや、いいんだって。わはははは。
★破壊と創造のサンバ 最後◇新潮10月号/筒井康隆×町田康×中原昌也★
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