一九八二年、準備に五年を要した『戦メリ』がようやく具体的な準備に入ったころ、
寛斎から久しぶりの電話があった。
晴海のモーターショウの大会場でショウをやる、そのモデルになって出てほしいということだった。
「大丈夫ですかねえ」
とは言ったものの、心は決まっていた。
これは冒険であった。そして冒険は成功するというのが私の昔からの信念だった。
もちろんこれは私の冒険ではない。寛斎の冒険である。寛斎ほどの男が冒険するのだ。
成功しないはずがない!
一方、私も『戦メリ』で冒険をはじめていた。これはもともと冒険だった。
日本人監督としてのはじめての国際的合作、英語、外国人のスター、スタッフ、
遠い南太平洋でのロケ、十六億の予算。五年間、金が集まらなかったのも無理はない。
それがいよいよやれるということで、私は冒険の上に冒険を重ねようとしていた。
まず、たけしを決め、次に坂本を決めた。
誰ひとり思いつきようのないキャスティングだった。私はもう勝ったと思った。
最高に昂揚していた。
★寛斎は越えている/大島渚★
|