繰り返してみよう。水は時であり、自らの命を通して美を与えてくれる。
ぼくらもその一部は水であり、ぼくらもまたそのようにして美に仕える。
この町は水をこすって、時の容貌まで改良する。未来を美化する。
それこそが宇宙の中の、この町の役割である。
ぼくらは動くのに町は動かないからだ。涙がその証拠だ。
ぼくらは去り、美はとどまるからだ。
ぼくらは未来に向っているが、美は永遠の現在だからだ。
涙は美のもとに残ろうとする。そこにとどまろうとする。しかしそれはルール違反だ。
涙というのは一種の投げ返し、未来から過去への贈り物だ。
あるいはそれは、より小さなものからより大きなものを差し引いた結果なのかもしれない。
たとえば人から美を。そして愛についても同じことが言える。
なぜなら人の愛もまた、その人そのものよりはもっと偉大だからだ。
★ヴェネツィア・水の迷宮の夢/ヨシフ・ブロツキー★
■訳は金関寿夫さん。
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