人間とは、悲しんだり落胆したりするとき、日頃の病気が一段と重くなるものであろう。
それ故に、嬢は蹌踉と閲覧室を出て、地下室の薄暗い空気の中に行かなければならなかった。
踏幅の狭い石段を下りると右の廊下に出る。
右は売店二三戸の地下室内の街。
左に進むと、からだは自然と婦人食堂へはいる。
ここは、食事時のほかはいつもひっそりとしていて、薄暗い空気が動かずにいた。
そしてこおろぎ嬢のためには粉薬用の白湯も備えてあったわけである。
白湯は大きい湯わかしからこんこんと沸いて出た。
窓の薄あかりにすかして、これは灰色を帯びた白湯であった。
そしてこおろぎ嬢は古鞄の粉薬を服用したのである。
人々は見られたであろう。この室内の空気はまことに古ぼけたものであった。
また地下室の庭には、窓硝子の向うに五月の糠雨が降っている。
こんな時、人類とは、大きい声で歌をどなるとか、会話するとか、
あるいはパンを食べたくなるものだ。
★こおろぎ嬢/尾崎翠★
|