東京へ戻って十日ほどすると、柏木さんから手紙が来た。
三枚の便箋の、最後の一枚はこうなっている。
──あなたが汁かけごはんがすきと分かってから、どういうんかしら、
しきりに牛丼を思いうかべるのよ。もっとも、牛丼といってもしってる訳じゃない。
食べたことも見たこともないのに、どうして牛丼がうかぶのかわかんないのよ。
どうしてかなあ、どうしてかなあ、と思うと気になるでしょう。ヘンでしょう。
気になるわあ、気になるわあ、と思うんなら、そんなもの食っちゃえばいいのだと、
とにかく勝手に作ってやろうと肉屋へ出かけていったの。
そのとき万松堂の前をとおり、そこへはいり、
本だなのあなたにちょっとアイサツしてから、そこらのものを立ちよみなどして、
どれも買わず、何か鬼の本でもないかなあと思ったけどそんなものある訳もなくて・・・・・。
さらば鬼よ、っていいわねえ。言葉っていうの?文句っていうの?いいわねえ。
あんな言葉でかかれりゃ、鬼だって花みたいなものよ。
鬼ってなあに?鬼って鬼だと思う?
鬼って何だか分かんないけど、あたし、鬼って人なんだと思うのよ。
鬼って鬼じゃなく人なんだと思うのよ。
このごろ、あたしって鬼なんじゃないかなあなんて思うのよ。
そんな思いながらコーヒーのんでうちに帰ったら、牛肉なんて全然買ってきてなかった。
さらば鬼よ。さらば徹よ。さらばっていい響きね。ではさらば、さらば!
★気まぐれ美術館(柏木弘子さんからの手紙)/洲之内徹★
|