浦安のことを書いて以来、私は中央区、江東区、江戸川区の歴史に関する本を手当たり次第、
読めるだけ読んだが、どの本にも必ず永井荷風のその日記(断腸亭日乗)
からの引用があるのを見て、驚いてしまった。
荷風の歩いていないところはなく、それだけでも大変なことだが、その上に、
それを書き留めているのは荷風以外にはないらしい。
そこで、私はおくればせながら、ゲンロクマメの母親が揃えていた『断腸亭日乗』全七巻を、
これまた手当たり次第に開いて読み、なんていう不思議な本だろうと、唖然としてしまったのであった。
どこそこでいま改正道路が出来かかっている、というようなことが書いてあるかと思うと、
女中を誘って一緒に風呂に入ったという日があり、二日後には、
その女中が買い物に行ったまま帰らないので、紹介所へ別の女中をを頼んだ、
などと書いてあるのだ。
毎日の天気がまた几帳面に書いてあり、聞くところによると、気象のデータとして、
この日記は、その道の人にとっては貴重なものだそうである。
いったいどういうつもりで、何のためにこんな日記を書いたのだろうと私などは思うけれども、
ただひとつ、これだけは言っておきたいのだが、こういう、
何のためにこんなことをしたのかわからないというようなことこそ、
本当の仕事ではないだろうかと、この本を読んでいて私は思った。
絵でもそうだが、こういう仕事は恐ろしい。
★気まぐれ美術館 セザンヌの塗り残し/洲之内徹★
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