「こんな説明は不必要だ」といっては切られ、
「文書が冗漫だ。形容詞が多すぎる」と言っては削られ、
なかんずく、「これはあんたの一番いいたいこと」と消されたのが一番身に応えた。
ジィちゃんの説では、自分のいいたいことを我慢すれば、
読者は我慢した分だけわかってくれる、自分自身で考えたように思う、
読者にとって、これ以上の楽しみはないではないか、というのである。
◇
利休は、「自分が死ねば茶は廃れる」といったと聞くが、茶道の型だけ伝承されても利休は死ぬ。
死ぬことによって彼の精神は、山崎の「待庵」に、
長次郎の茶碗に生きたといっても間違ってはいないと思う。
今の私たちには想像することもできないが、利休が最後に発明した一畳半の茶室とか、
黒楽の茶碗は、当時の人々の眼には「狂」と映ったそうである。
既に述べたように、ジィちゃんの見た眼とか、感じ方が固定したことがないのと同じように、
利休の眼も高麗や李朝の茶碗を食いつくして、世間の常識からはずれたものになっていった。
「狂」とは、「人が見たら蛙になれ」ということである。
ただ惜しむらくは、ジィちゃんには、秀吉も長次郎もいなかったことで、
友達を相手に真剣勝負の修羅場を発明してみせねばならなかった。
◇
伊東では珍しく隣組長をつとめていたらしく、
何をしている人間だかわからないのでスパイと間違えられたのは、
のべつレコードをかけて聴いていたことと、
キリスト教の本を五百冊も集めて読みふけっていたからで、
戦争中にジィちゃんがしたことといえば、それだけだったに違いない。
◇
「あいつと仲よくなれよ、決してわるいことを言いやしない、
君は自分の手に負へるやうな環境の中に安住して、ほんたうのものにはぶつからないで、
一生を終つてしまふかも知れないよ、ジィ公は何一つ取柄のないやつだが、
正直で打ち込みのふかいバカ野郎なんだ、おそらく君の持ってないものを、
あいつがみんな持ってゐるだらう、
君があいつを利用するほど太々しくなればシメたものだ、とにかく、つきあってみなさい」
★いまなぜ青山二郎なのか/白洲正子★
■図書館で。 文庫じゃない方を借りたら装丁もきれい。
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