青山二郎さんの「友情」話だけ抜書き。
■中学生から骨董を買っていたという青山さんに小林秀雄さんが 骨董を学んだ話。
「二人の交際は大正の終りごろからで、既に青山さんはいっぱしの目利きであ ったが、小林さんは見向きもせず、毎日骨董屋について来て別室で本を読んで いたことはよく知られている。それがある日ふとしたきっかけで李朝の壷を買 って以来、「狐」がついてしまい、狐が落ちた後までも骨董あさりは好きだった」
■青山さんの「骨董」が白洲さんの「能」、小林さんの「文学」 に影響を与えた話。
「能の場合は、その饒舌を単純な型に閉じ込めてしまっただけ、その分だけ見 物に我慢を強いることになる。その我慢があってこそ、『踊りの魂が現れて消 える』瞬間が美しいのだ、と私は長い間信じていたのだが、沈黙している陶器 の力強さと、よけいなことを何一つ思わせないしっかりした形を知って以来、 我慢するのが嫌になってしまった。以来、底なし沼のようなお能に絶望して、 しばらく見なくなっていた」
「小林さんも、陶器に開眼することによって、同じ経験をしたのであって、そ れまで文学一辺倒であった作品が、はるかに広い視野を持つようになり、自由 な表現が可能になったように思う」
「俺はこの三年間骨董に夢中になってゐた。おかげで、文学がわかるやうにな つたよ(小林)」
「『おそらく君のもつてなゐものを、あいつがみんなもってゐるだろう』とは 実は小林さん自身の体験であったので、極端なことをいえば、青山二郎に会わ なかったら、小林さんはまるで別の人間になっていたかも知れないし、違う文 章を書いていたかもわからない。そんなことを想像するのは馬鹿げているが、 『あいつを利用するほど太々しくなればシメたものだ』というのは、正に小林 さんが実行したことではなかったか」
■「狐」がついた二人のとても身近にいたのに、 もう1人の親友である河上徹太郎さんはまったく骨董に手を出さなかった話。
「河上さんは小林・青山両氏と付き合いながら、骨董に一べつも与えなかった。 それはほかの誰ソレさんのように、ちょっと手を出してみて、知ったかぶりを するよりよほど立派なことである。『文士五十にもなると、みんな骨董に凝り 出すが、せめてそれをやらぬところが君のいいとこだよ』とある日トノサマ(細 川護立)に褒められたそうである」
■白洲さんが羨ましくなるほど、青山さんと小林さんがお互いを慕ってた話。
「彼の不満は、小林さんのほんとうの魅力が、文章に現れていないだけでなく、 愛読者も誤解しているという点にあった」
「(青山さんにみんなの前でしつこくでも正しく批評されて)私は何度も小林 さんが涙をこぼすのを見ている。青山さんだけが、小林さんを泣かすことが出 来たのだ」
「文章の中で『夫婦喧嘩をして迄酒を飲みたい友達に限って年に数回しか来な い』といっているのはたぶん小林秀雄のことで」
「小林さんは『ジィ公にもう一度金を持たせてやりたいなあ』と、しみじみ言 ったものである。じみじみとか、つくづくというような言葉を、小林さんは文 章の中では絶対に使わなかったが、そういう時の表情には切実なものがあり、 すぐにも何とかしなくっちゃ、と思わせるものがあった」
「(小林さんは)装丁の注文などとってジィちゃんを外から応援していた」
「小林の直感は美しい。だから実用への応用にはならぬ。世間はもっとずるい のだ(青山)」
「人に迷惑を掛けても、掛けられた方が喜んでいゐるので、別に迷惑にならな い場合がある。小林の場合がこれだ(青山)」
「俺たちは秀才だが、あいつだけは天才だ(小林)」
「『モオツァルト』を書きながら小林さんは、青山二郎を思っていたに違いな い」
■青山さんと小林さんがやがて仲違いしてしまう話。
「大ざっぱに言えば、ジィちゃんは早くに自分の見方を獲得した、いわば『不 易』の人であったのに対して、小林さんは、歩きながら(或いは物を書きなが ら)発見していく『動』の人であったから、終始目が離せなかったであろう。 その『眼』に、小林さんは倦んで来たのではなかろうか。いつも見つめられて いるというあのいやな感じ、──ただでさえ大きくて鋭いジィちゃんの目玉に、 何十年も付き合ってくれば、年をとるとともに、息苦しくなるのも当然だ」
「決定的な結末が到来したのは」 「小林さんは今日出海さんと一緒にヨーロッパを廻り、アメリカ経由で羽田に 帰った時、青山さんが迎えに来ていた。私もいっしょに行ったので、よく覚え ているが、ジィちゃんはどこか別のところ、喫茶室にでも席をはずしていたの だろうか。とにかくジィちゃんのいないところで、ジィちゃんが迎えに来てい ると聞き、小林さんは実にいやな顔をして、『過去はもうたくさんだ!』と吐 いて捨てるようにいったのである」
「小林さんが帰朝して以来、必然的に二人の仲は疎遠になっていったが、ジィ ちゃんは時々『小林は俺と付き合わないで何が面白いんだろう』と呟くことが あった。だが、小林さんの方は、『面白い』なんてことにも、ただもう飽き飽 きしていたに違いない」
「いろいろいきさつはあったにしても、結局のところ、生理的にいやになった だけの話である。そして、極くふつうのそこらにいる、たとえば漫画家などと 付き合うようになって行った。その気持ちが今の私にはようやくわかるような 気がする」
■その後の二人。
「銀座のバァで、ジィちゃんとひょっこり顔を合わせたところ『小林がオレを 裏切った、小林がオレを見捨てやがった』と涙ぐみながら、珍しくグイグイ飲 んでいたという」
「たしかにいやになったことは事実であり、『ジィ公』の悪口を私は耳にタコ ができるほど聞かされたが、何だか嫌いになることを小林さんは自分自身に課 したみたいで、自分の気持ちを鼓舞するためにいっているように聞こえる時も あった。その証拠には、『ジィ公はこの頃何か買ってるかい』としきりに気に して訊くこともあり、私が粉引の徳利や耳杯のことを話すと、熱心に耳をかた むけていて、『売った』と聞くと直ちに壷中居へ行ってせしめてしまう」
■晩年に近い頃、河上さんが間に入って取りなすことに。
「話題は必然的に『過去はもう沢山だ』という小林さんの言に及んだが、『俺 そんなこといったのかナ。ぜんぜん覚えてていないんだヨ。もし、いったとす れば失礼なことだ。御免よ』それだけのことであっけなく済んでしまった」
「だが、いったい誰がそんなこと発表したのだろう。あれは大岡(昇平)がど こかへ書いたんじゃなかったか。そうとすれば、大岡が悪いんだ。大岡だ、大 岡だ、と大岡だけが悪者にされ、罪をなすりつけられて大笑いになった。だい たいいつものパターンである」
■仲直りも一応済んだ後、珍しく青山さんが一人旅に。
「志賀高原のもみじが見たいというのである」 「もみじというのは白樺林の黄葉のことで、その中に一本、一日のうちのある 時間に、此世のものならぬ色に染まる瞬間があることを発見した」
「彼はその霊妙な色彩を、小林さんに見せたくて、鎌倉へ電話をかけたが、原 稿が忙しいというので来られなかった。もしかしたら、この時本当の和解は成 立したであろうに、惜しいことであった。いや、いや、そんなことはもうどう でもいい。二人の間に交わされた昔日の友情こそ、正にこの白樺林の黄葉の如 きものではなかったであろうか」
★いまなぜ青山二郎なのか/白洲正子★
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