御住職は御堂の中にいて、小さな男の子と話をし続けていた。
だからといって暇なのではなく、観光客はひきもきらずに来る。
堂の外ではカメラおやじがアジサイに夢中だ。
にもかかわらず、なぜか岩船寺は静かだった。なんともいえない落ち着きがあるのだ。 にぎやかさが俗っぽく感じられない不思議さ。
むしろにぎやかであればあるほど、本尊阿弥陀の瞑想は深くなり、
その幸福の境地は持続するのではないか、とさえ私は思った。 衆生の声に対して我関せずを貫くのでもなく、
かといって生きる者たちの世界に混じるでもない。
今は皆に姿を見せて付きあってやろうとでもいうような親しみやすさが、阿弥陀にはあった。
藤原時代には貴族とだけ交わりを結んでいた阿弥陀が、
長い時を経て民衆の世界に降りてきたのだ。
そして、阿弥陀はその歴史を喜んで受け入れている。 本尊正面でじっとあぐらをかき続けていたみうらさんも、
同じようなことを考えていたらしかった。
ゆったりと時を過ごして本堂を出ると、私を見るでもなく、こう言うのだ。
「俺、信仰されてる人が好きだわ。信仰は別に好きじゃないけど、信仰されてる人が好き」 私と反対の方向から、みうらさんは阿弥陀を見ていたのだった。
★見仏記 ゴールデンガイド編 第三回/いとうせいこう★
■角川書店のHPから。 「清水の舞台」の裏に密教世界が広がってるなんて、想像もしてなかったです、見たい。 大黒人形も欲しい。
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