三人の内、誰が云い出したか、はっきりしないが、三人がみんな鈴の音を聞いていて、
誰も姿を見た者がないとすれば、それはクルに違いない。
クルが帰ってきたくなって、通り馴れた屏際の支那鉢の所まで来たのでしょう、と云う事になった。
一昨年の夏、私共の手元で病死した猫が、死に切れないで迷って来た、などと、そんな風にはだれも感じていない。
そうではなく、ただうちに帰りたくなったのだろう。
クルが帰りたくなったのは自然で、当たり前のことである。
私共としても、いまだにまだ、しょっちゅう、クルのことを思いだし、話し合っている。
クルがいればいいのに。クルがいれば、今頃はあっちの部屋から出て来て、ここに坐っている時分だね。
クルがいればこれをやるのに。
こちらがこんな風だから、クルだって帰って来たくなるだろう。
庭の隅の地の底で、姿はもうなくなっているに違いないが、一たび生を享けたものに、その跡が遺こらぬ筈はない。
玄関前の、屏際の支那鉢のあたりで、猫の小鈴の音がするのは、クルや、お前か。
お前の鈴の音だろう。
★波のうねうね/内田百間★
■『クルの通い路』という章から。
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