ある秋の日ぼくは、おじいちゃんに部屋へ呼ばれた。
どうも最近、背がのびたようなんだよ。
ぼくはこたえた。七十過ぎてひとの背はあまり伸びないよ。
けど、本当だった。
姿勢のいいその背はぐいぐいと伸びだし、翌月の末おじいちゃんは身のたけ三メートルの巨人になっていた。
途端にひとづきあいが難しくなる。大通りにいけば犬が吠えつく。
その日もおじいちゃんは背を丸め裏通りを歩いてた。古アパートの前。二階の窓があいている。
窓際に座る若い女性の手元を見下ろし、おじいちゃんは息をのんだ。
彼女はピンセットでガラス瓶のなかに帆船をつくっていた。
つい話しかける。同じ趣味です!彼女もすぐ笑顔になって、窓から熱いコーヒーをすすめてくれた。 この日以来おじいちゃんはまた姿勢がよくなった。
この新しい友人のところへ、毎日長いネクタイをなびかせていくおじいちゃんの巨体は、
まるでマストにリボンを結わえた、ぴかぴかのどでかい帆船みたいにみえる。
◇
裏通りのアパートに住むおねえさんは、仕事で日中ほぼ部屋からでない。
スパゲティ用の小麦粉種をえんえんと細い足でふみ、夕方レストランに渡す。
ある金曜、郵便配達夫が小麦粉を届けにきた。
ぼんやり眠そうな若者の胸から小麦粉の袋をとったおねえさんは、ラベルをみるなり表情を曇らせた。
この粉違うわ。私にはかたすぎる。どうしよう、今日のぶんが間に合わない!
郵便配達夫は戸口で少し考えこんでいった、おれ、手伝いましょう。 並んでふんでみると、この若者は意外なくらい足ぶみが上手で、しかも彼女との息もぴったりだった。
ふたりは肩を並べ、かたい種を仲良くうんうんとふんだ。作業は普段より一時間も早くすんだ。
そして翌週、郵便配達夫は花束をもってきていった、今夜スパゲティをたべにいきませんか。
おれ、あなたのふんだのが食べたいんです。
その午後、おねえさんは踊るようなステップで、真新しい小麦粉のかたまりをうきうきとふんだ。
◇
ぼくの村の郵便配達夫は、毎晩、空を飛ぶ訓練をしている。
ほぐした箒を両腕にしばりつけ、家々の屋根をとびはねて歩く。
村人は天井をみあげにやにやと笑って、やつめ、今夜も飛んでいやがるな。 十月のある夜、配達夫は屋根を伝い北の工場までやってきた。煙突をみあげ彼はぎょっとした。
全身鳥の恰好をした男が、そこにしゃがんでいたからだ。
村の名物「鳥男」には近づいちゃいけない!そっとあとずさりすると、煙突のほうから低い声が響いた。
お前さんのことは知ってる。いいものをやろう。今夜かぎり、お前さんになら効くはずだ。さ、胸にさしてみな。
みいられたような配達夫の前に、真っ黒い羽根が一枚ふわふわと落ちてきた。
いわれたとおりそれを胸にさすと、からだがひどく軽くなった気がした。 この夜村のみんなは眉をひそめ、やつめ歯痛かな、いつもの足音がきこえてこないぞ。
うん?妙な風切り音がする。今夜は早く寝るとするか。
村の全員がこの晩、空飛ぶ夢をみたんだという。
◇
村の名物、全身鳥の恰好をした鳥男が、工場の煙突からおりたことがいままでに一度だけある。
それはぼくの母さんの目の前でおきた。
ある朝いつものように村をみおろしてた鳥男の前に、赤い風船があがってきた。
風船の紐には手紙が結わえてある。
「鳥男様。ぶしつけな願いをおゆるしください」と文面にはあった。
煙突からおりてくれませんか。息子が病気なのです。
占いによれば、北の方角にいる鳥がたいへん不吉なそうで、
その煙突は我が家からみるとちょうど真北にあたるのです。 下をみる。若い女性が両手を握りあわせ祈っている。
鳥男は吐息をつくと、煙突からおりはじめた。するするとはしごを伝い、母さんの前までやってくる。
そしていった。占いはともかく、早く医者にみせなさい。
やさしい目だったわ、と母さんは語っている。
その日以来、今でも母さんは三日に一度、風船にサンドイッチをつけて鳥男のほうへ放る。
◇
父さんは新聞スタンドの売り子だった。毎日くるとある女性が好きになった。
彼女はすてきな笑顔で新聞を買うと、その場で占い欄をくいいるようにみつめる。
「ふんふん、今日は南が不吉なのね」。 父さんはある日、名案をおもいついた。毎朝占い欄を先にみて、幸運の色で彼女を出迎えるのだ。
オレンジのネクタイ、ピンクのシャツ、水玉の上着。けれど彼女は気づかず、
新聞に鼻をつっこませ歩き去るだけだった。
ある雨の日、公園で父さんはあの女性をみた。
転んでバッグをおとしたらしく、泥土へしゃがみ、口紅やビー玉を拾っている。
父さんは駆けよってバッグの中身を拾い集めた。
彼女は頭をさげ、あの、どちら様ですか、といった。
先月めがねをなくしちゃって、この世が全部ピンぼけにみえるんです。
父さんはほっとした。きていた上着の緑は、その日最悪の色だったからだ。
多少ピンぼけだったにせよ、これがぼくの父さんと母さんとの、最初の、本当の出会いだったことになる。
★おじいさんの背が伸びた/いしいしんじ★
■フジテレビでやってる(らしいです、未見)「出会いのストーリー」から。 HPでバックナンバーが読めるのですが、 消えてしまったらヤなので全部コピーしちゃいました。
|