宿題

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2002年11月09日(土) 出会いのストーリー/いしいしんじ
ある秋の日ぼくは、おじいちゃんに部屋へ呼ばれた。

どうも最近、背がのびたようなんだよ。

ぼくはこたえた。七十過ぎてひとの背はあまり伸びないよ。

けど、本当だった。

姿勢のいいその背はぐいぐいと伸びだし、翌月の末おじいちゃんは身のたけ三メートルの巨人になっていた。

途端にひとづきあいが難しくなる。大通りにいけば犬が吠えつく。

その日もおじいちゃんは背を丸め裏通りを歩いてた。古アパートの前。二階の窓があいている。

窓際に座る若い女性の手元を見下ろし、おじいちゃんは息をのんだ。

彼女はピンセットでガラス瓶のなかに帆船をつくっていた。

つい話しかける。同じ趣味です!彼女もすぐ笑顔になって、窓から熱いコーヒーをすすめてくれた。
 
この日以来おじいちゃんはまた姿勢がよくなった。

この新しい友人のところへ、毎日長いネクタイをなびかせていくおじいちゃんの巨体は、

まるでマストにリボンを結わえた、ぴかぴかのどでかい帆船みたいにみえる。

   ◇

裏通りのアパートに住むおねえさんは、仕事で日中ほぼ部屋からでない。

スパゲティ用の小麦粉種をえんえんと細い足でふみ、夕方レストランに渡す。

ある金曜、郵便配達夫が小麦粉を届けにきた。

ぼんやり眠そうな若者の胸から小麦粉の袋をとったおねえさんは、ラベルをみるなり表情を曇らせた。

この粉違うわ。私にはかたすぎる。どうしよう、今日のぶんが間に合わない! 

郵便配達夫は戸口で少し考えこんでいった、おれ、手伝いましょう。
 
並んでふんでみると、この若者は意外なくらい足ぶみが上手で、しかも彼女との息もぴったりだった。

ふたりは肩を並べ、かたい種を仲良くうんうんとふんだ。作業は普段より一時間も早くすんだ。

そして翌週、郵便配達夫は花束をもってきていった、今夜スパゲティをたべにいきませんか。

おれ、あなたのふんだのが食べたいんです。

その午後、おねえさんは踊るようなステップで、真新しい小麦粉のかたまりをうきうきとふんだ。

   ◇

ぼくの村の郵便配達夫は、毎晩、空を飛ぶ訓練をしている。

ほぐした箒を両腕にしばりつけ、家々の屋根をとびはねて歩く。

村人は天井をみあげにやにやと笑って、やつめ、今夜も飛んでいやがるな。
 
十月のある夜、配達夫は屋根を伝い北の工場までやってきた。煙突をみあげ彼はぎょっとした。

全身鳥の恰好をした男が、そこにしゃがんでいたからだ。

村の名物「鳥男」には近づいちゃいけない!そっとあとずさりすると、煙突のほうから低い声が響いた。

お前さんのことは知ってる。いいものをやろう。今夜かぎり、お前さんになら効くはずだ。さ、胸にさしてみな。

みいられたような配達夫の前に、真っ黒い羽根が一枚ふわふわと落ちてきた。

いわれたとおりそれを胸にさすと、からだがひどく軽くなった気がした。
 
この夜村のみんなは眉をひそめ、やつめ歯痛かな、いつもの足音がきこえてこないぞ。

うん?妙な風切り音がする。今夜は早く寝るとするか。

村の全員がこの晩、空飛ぶ夢をみたんだという。

   ◇

村の名物、全身鳥の恰好をした鳥男が、工場の煙突からおりたことがいままでに一度だけある。

それはぼくの母さんの目の前でおきた。

ある朝いつものように村をみおろしてた鳥男の前に、赤い風船があがってきた。

風船の紐には手紙が結わえてある。

「鳥男様。ぶしつけな願いをおゆるしください」と文面にはあった。

煙突からおりてくれませんか。息子が病気なのです。

占いによれば、北の方角にいる鳥がたいへん不吉なそうで、

その煙突は我が家からみるとちょうど真北にあたるのです。
 
下をみる。若い女性が両手を握りあわせ祈っている。

鳥男は吐息をつくと、煙突からおりはじめた。するするとはしごを伝い、母さんの前までやってくる。

そしていった。占いはともかく、早く医者にみせなさい。

やさしい目だったわ、と母さんは語っている。

その日以来、今でも母さんは三日に一度、風船にサンドイッチをつけて鳥男のほうへ放る。

   ◇

父さんは新聞スタンドの売り子だった。毎日くるとある女性が好きになった。

彼女はすてきな笑顔で新聞を買うと、その場で占い欄をくいいるようにみつめる。

「ふんふん、今日は南が不吉なのね」。
 
父さんはある日、名案をおもいついた。毎朝占い欄を先にみて、幸運の色で彼女を出迎えるのだ。

オレンジのネクタイ、ピンクのシャツ、水玉の上着。けれど彼女は気づかず、

新聞に鼻をつっこませ歩き去るだけだった。

ある雨の日、公園で父さんはあの女性をみた。

転んでバッグをおとしたらしく、泥土へしゃがみ、口紅やビー玉を拾っている。

父さんは駆けよってバッグの中身を拾い集めた。

彼女は頭をさげ、あの、どちら様ですか、といった。

先月めがねをなくしちゃって、この世が全部ピンぼけにみえるんです。

父さんはほっとした。きていた上着の緑は、その日最悪の色だったからだ。

多少ピンぼけだったにせよ、これがぼくの父さんと母さんとの、最初の、本当の出会いだったことになる。


★おじいさんの背が伸びた/いしいしんじ★



■フジテレビでやってる(らしいです、未見)「出会いのストーリー」から。
HPでバックナンバーが読めるのですが、
消えてしまったらヤなので全部コピーしちゃいました。

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